てつがくやさんの気まぐれ日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川えりのブログです。

「他人と話し合うのは難しい?」@高島公民館

先週は、岡山市立高島公民館の哲学カフェ、ふたばトークでした。

テーマは、町内会と子ども会の話し合いがうまくいかないという経験から出てきた「他人と話し合うのは難しい?」。

 

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よく知ってる相手のほうが話しやすいという方もいれば、逆に家族より他人のほうが話しやすいという方も。

家族間の話し合いと他人との話し合いのちがい、「話」「話し合い」「議論」のちがい、話し合いが難しい理由など、それぞれの経験をヒントに、行きつ戻りつしながら整理しようとするものの、なかなか「これ」というポイントが見つからない。

途中まではそんなもどかしさを感じていましたが‥‥‥

 

突然、ある仮説の浮上によって、「それだ!」「それかも!?」と靄が晴れたかのような一体感が生まれました。

それが、「話し合いには、第三者が必要」という説です。

その後、「第三者じゃなくても、複数人だったらいいんじゃないか。1対1だと平行線だったのに、複数人になったとたんうまくいったケースもある」という声もあって、それはそれで説得力を感じたけれど、この「複数人がよい」説が出るきっかけになったのも、「第三者が必要」説だったので、今回のハイライトシーンを1つあげるとしたらここでしょう。

 

それに加えて、もひとつ、わたしには個人に印象に残ったシーンがありまして‥‥‥。

それは、「いろんな人とお話するのが大好き」と言っていた女性が、対話の4分の3が終わったところあたりでしょうか、ふと「私がよその人と話すのが好きなのは、夫と話し合うことがなかったからだ」と気づいた瞬間。

いつも笑顔で前向きなお話をされるその方の、はっとした顔に、真の気づき、真の自覚とはこういうものかと、こちらもはっとさせられました。

 

たぶん、こういう瞬間に立ち会いたいがために、わたしは〈てつがくやさん〉をしているのだわ。

 

「話す」ではなく「話し合う」必要性が出てくるのはどんなときだろう?という問いについても、引き続き考えたいかも。

いつでもなんでも話し合うのがいいってわけでもないような気もしました。