てつがくやさんの気まぐれ日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川えりのブログです。

ご無沙汰してしまいました

長らくブログをお休みしていて、すみません。

その間に持病が悪化したり、薬の副作用に悩まされたり、胃腸炎にかかったり、インフルエンザにしつこく居座られたり、再びカフェフィロの代表になったり、しておりました。

 

毎日小学生新聞の連載が久しぶりに書籍化されたり‥‥‥

mainichibooks.com

 

 

学会の大会開催委員のお仕事もしてました。

philopracticejapan.jp

 

 

そして近々、こちらのブログからnoteにお引越ししようと考えています。

 

「てつがくやさん」がどんなことをしているのか知ってもらおうとおもってはじめたブログですが、最近はだいぶ活動も知られるようになってきたので、もう少し、これまでの活動を整理したり、思考の整理をしたいなと考えています。

 

noteのほうが準備できたら、またお知らせします。

カフェフィロ20周年の集い〜山本さんよりダイジェスト@應典院〜

書きたいことがたくさんありすぎると、書けなくなる私。

先々週末の県北3連チャン哲学対話について書きたかったけれど、その前に、さらっとシェアしておきましょう。

 

カフェフィロ20周年イベントのダイジェストレポートが、應典院さんのHPに掲載されました。代表の山本さんが書いてくださいました。

 

www.outenin.com

 

この記事が、カフェフィロのHPではなく、應典院のHPに掲載されているのも、なんだかカフェフィロらしいなと思ってしまう、カフェフィロ20年目の私。

誰と一緒にやるかを、途中からカフェフィロの仲間になった(私が巻き込んだ)山本さんも大事にされていることを感じます。

 

 

カフェフィロ前史から、それぞれがどういう動機やきっかけで、哲学してきたのか、ミクロな視点から歩みや動きを学び、ふりかえることができて、今後、自分が何をして何をしないのか、明確になった1日。
 
そして、個人的には、シンポジウムで、過去一、ちゃんと話すべきことを話せた気がする(うまく話せたかどうかは自身ないけど)。
シンポジウムって、だいたい打ち合わせで盛り上がりすぎて、本番何をどこからどこまで話せばいいのか迷ってしまうことが多いのですが(たぶん、打ち合わせでは話せるけど、オープンな場で話していいかどうか迷うこともあるので)、今回は、ちゃんと本番で、打ち合わせを超えたつっこんだ話をできました。(ダイジェストには、そこまでつっこんだ話は載ってませんが、今後の活動には反映されるはず!)
ゲストの角田さん、朱さん、司会の山本さん、そして、会場のみなさんのおかげです。
(これを機に「シンポジウムって難しいな」という苦手意識が和らぐといいな)
 
カフェフィロ設立前からお付き合いくださっている方から、最近オンラインで知り合った方まで、直接お会いできたのもうれしかったなぁ。さらに、新たな出会いも!ありました。
 
来場者のみなさん、ゲストのみなさん、企画を中心になって進めてくださった山本さん、あらためて、ありがとうございました。

 

「“できなさ”は評価されうるのか?」@哲学対話ファシリテーターのための探究コース

一昨日夜は、哲学対話のファシリテーターを養成するオンライン講座で、「“できなさ”は評価されうるのか?」という問いについて対話してみました。

 

world-cafe.net



一見できていなくても、何かしらできていることがあるから評価されているのでは?

という穴に何度もはまりつつ、

“できなさ”が“できないまま”に評価されることは、果たしてあるのか?

にあらゆる角度から迫ってみる時間。

対話のなかでもいくつかの示唆を得られたのですが、その後も気になって、頭のなかでぐるぐる対話の続きをしておりました。

みなさんと対話したときは、赤ちゃんやギャップ萌えの例に“できなさ”が愛されることはあるけれど、それを「評価」と呼べるのか? 「評価する」という言葉を「プラスに感じること全て」と広く捉えている人もいたけれど、私はそこまで広く捉えられないなぁ、と思ってました。

が、なぜか夫と家事などしているときに、ふと、「愛とは、“できなさ”をプラスに捉えること」という命題が降ってきまして。
そういう意味では、“できなさ”は(プラスに)評価されうるやん!←イマココです。

ずっと「“できない”ってどういうことか?」「評価するってどういうこと?」を考えていたはずなのに、突然「愛」に関する命題が発見されて、びっくり。

だから、哲学対話はおもしろい。

 

参加者のなかには、対話中なかなか噛みきれずにモヤっとした方もいらっしゃったかもしれませんが、終わってからも味が出てくるスルメ回でした。