今日はZiba Platform主催のオンライン哲学カフェでした。
テーマは「昭和の○○」。
哲学カフェの終了後にお願いしているアンケートでご提案いただいたテーマです。
最初にいただいたテーマ案は「昭和でなぜ悪い?」だったのですが、このままだと、昭和を愛する人が参加しにくかったり、「昭和が悪いって前提で話さなきゃいけないの?」という誤解を招く恐れがあるかもしれないと思い、「昭和の○○」とアレンジさせていただきました。
最初にご提案いただいたテーマより、テーマのもつ切り口の鋭さのようなものが失われたせいか、参加者はいつもよりやや少なめ。
でも、とても充実した対話となりました。
哲学者としても満足度の高い回となりました。
わざわざ「哲学者として」とつけたくなったのは、哲学の異なる3種類のおもしろさ、全てを兼ね備えていたからかもしれません。その3種類のおもしろさとは、
- 時代によって変化するものと変化しないものについての、普遍的な考察
- ある特定の時代や社会を俯瞰的な視点から眺め、鋭い切り口で捉え直す分析的思考
- 自分がこれまでどう生きてきて、これからどう生きるのかを見つめ直す人生哲学的側面
この3つのおもしろさを、同時に、しかもそれぞれの絡み合いを味わいながらバランスよく堪能できることは、そう多くはない気がします。
もちろん、このなかのどれか1つか2つでもそれはそれでとても楽しい。
けど、3つ同時にバランスよく、は珍しい。
様々な食材が何層にも重なったパフェを食べてるような、そんな時間を堪能できました。(伝われ)
特に、
- 戦前、戦後、高度成長、バブル
- お笑いやエンターテイメントにおけるネタやタブーの変化
- テクノロジーの変化と人との関わり、遊び方の変化(回覧板→LINE連絡、対面→オンラインへ、集まってゲーム→オンラインゲームへetc.)
- 感覚の変化(体罰、男女の区別、人との距離感)
- 働き方革命
- 根性からエビデンスとコスパ、タイパへ/説教からマニュアルへ
- 知恵の輪をググって解くZ世代
- M(明治)、T(対象)、S(昭和)がいつの間にかS(昭和)、H(平成)、R(令和)に
- 年号以外の時代は何よって区切られている?(X世代、Y世代、Z世代)
- ジェネレーションギャップや感覚の変化は何によって生じるのか?
- 「サザエさん」の波平さんに感じる昭和感とは?
などなど、ひととおり思いつくものを出し合ったあと、「改めて、気になる点は何ですか?」と問いかけたとき、出てきたポイントに痺れました。
それまでの対話のなかでの流れを共有していないと、どう痺れたのか伝わりにくいとは思うのですが、一応共有しておくと‥‥‥
- 人との関わり方は時代によって変わるのか? それとも、本質的には変わっていないのか?
- 前の時代のよいものを残しつつ、新しい時代のよいものを取り入れ、アップデートすることはできるか?
- つながりたいけど、つながりたくないというジレンマ
- (何名かが昭和的なものとしてあげた)「精神論」って悪いことなの?多様性を活かした精神論はある?
具体的な昭和のイメージや、暮らしや人生のなかで感じたジェネレーションギャップ、それぞれの時代や社会のについて、つまり上記の2と3について話すなかから、普遍的で根本的とも言える問いが発掘される瞬間、大好きです。
まつかわメモ、その1
まつかわメモ、その2
参加者のみなさん、Zibaさん、そしてアンケートで今回のテーマを考えるきっかけをくださった方に、改めてお礼申し上げます。
やっぱり、哲学カフェって楽しいなぁ。
ちなみに、次回11月は、久しぶりにZiba Platformで、つまり対面での実施ができないかと検討中。
今回の対話でもでてきた、対面ならではのよさも、久しぶりに津山で味わえるかも!?
詳細決まったらHP等でご案内しますので、お楽しみに。