ブログでのレポートが遅れがちですが、最近、新しい企画やオンラインセミナーで、このブログの備忘録が役立つこともあるので、ちゃんと書いておこう。
3月27日(土)は、2ヶ月に1回開催しているZiba Platform主催のオンライン哲学カフェでした。
テーマは「常識と非常識」。
常識は時によって変わる
常識は場所によって変わる
常識には理由がある?ない?
常識は文化?
常識は役に立つ?常識がないと何が困る?
初対面の人と親しい人で、常識的にふるまうかどうか変わる?
非常識は失礼?
非常識にあこがれるのはなぜ?
常識は決まりごと?
どの論点もそれぞれに盛り上がりましたが、どの論点から掘っていっても、いつのまにか「場所や時によって変わる」というポイントに舞い戻ってくるのが、おもしろい!
それに関連して、なかでも「common sens(常識)のcommonというのは、囲われてはじめて成り立つものだ」という指摘が、新鮮で印象に残りました。
これまでも似たようなテーマで哲学対話したことはあると思うけど、これは私が参加・進行したなかでは初めての指摘だったんじゃないかなぁ。
また、常識に理由があるかどうか、その理由を共有できてるかどうか、理由があるものを“常識”と呼ぶべきかどうかも、なかなか気になるポイントでした。
実際、終盤に「図書館へ本の返却が遅れるのは、ありかなしか?」という話になり、それぞれの意見を詳しく聞いてみるとそれぞれに理由はある。
けど、どの理由もよく聞いてみるまでは共有できてない。
「これぐらい常識でしょ」と誰かがおもっていても、その理由までは共有できてないし、「常識」とは言えないなぁということを対話のなかで実感しました。
また、まちなかライブラリーのひとつとして図書館的な役割も担っている主催者のZiba Platformさんにとっても、具体的な気づきやヒントのある対話となったようです。
次回のZiba Platformでの哲学カフェは、5月。
次回はちょっと特別な企画となる予定です。お楽しみに♪