5月27日(木)は、フリーデザイン岡山へ。
緊急事態宣言の影響で、オフライン参加は1名+スタッフさん2名、オンライン参加が3名。
長らく哲学カフェとコミュニケーションカフェを交互に開いていましたが、
午前組と午後組で交互に参加するようになったこと、
現在の利用者さんが哲学カフェ向きの方が多そうなことから、
しばらくプレーンな哲学カフェとコミュニケーション哲学カフェ(テーマをコミュニケーション関連に限定した哲学カフェ)を、午前組と午後組それぞれで交互に開催することに。
今回は、午前組のみなさんと、コミュニケーション哲学カフェでした。
テーマを募ったところ、候補が2つ。
- 沈黙、どうする?
- テンションがちがうとき
前者のテーマを提案してくださった方がある程度哲学カフェに慣れていたこと、
後者のテーマで前者のテーマも包含できそう(沈黙=テンションが低い?問題)なことから、
今回は、「テンションが合わないとき」をテーマとすることに。
(こういうテーマ選びの話し合いも、楽しい)
「挨拶のテンションがちがうとき」という話題からはじまり、
体調やメンタルなどコンディションの問題、趣味や関心の違いなど、
テンションの差を生むものも様々。
心持ち高めで入るか、低めで入るか?
親しい人とそうでない人の場合で変わるか?
沈黙してたら何か話さなきゃと思う?
心地いい沈黙ってどんなの?
相手や場の雰囲気にあわせてテンションを調整すべき?
などなど語り合うなかで、対ほとんどの方が周りをみてテンションを調整している(しようとしている)ことが明らかになってきました。
その一方で、少数派なが「自分の内側と外側のテンションがズレないようにしている」という方も。
どういうことでしょう?
それを考えるヒントになったのが、「低い方に合わせるのは簡単だけど、高い方に合わせるのは難しい」という声。
なぜだろう?と考えてみると、どうも、テンションを高い方に合わせるとき、私たちは無理しているらしい。
テンションを無理にあげようとしても、自分の内側の気持ち、本当のテンションがあがるわけじゃない。
ただ、あがったフリをしているだけ。
すると、自分の内側と外側でギャップが生じる。
そのギャップのある状態が、自分に嘘をついているような状態がきついんじゃないか。
そんなことに気づかされました。
テンションを低くするほうは、相手に寄り添う、歩調を緩めるというだけで、それほど無理をする必要はないけれど、高くするほうは無理が生じる。
その非対称生がおもしろい。
問題は、周囲の人たちと自分のテンションのズレではなく、自分の内側と外側のズレにある。
そのことがわかって、
「テンションを周囲と合わせなきゃと思ってたけど、それほど気にする必要はないのかも」
「前ほど沈黙が気にならなくなりそう。気がラクになりました」
といった感想も出ました。
みなさんも、テンションの合わせすぎには気をつけて。
哲学カフェは、テンション高めの人も低めの人も、大歓迎です。