タイトル買い。
まだ読んでないけど、久しぶりの野矢茂樹さん。
レビューを読むと、「語りえぬもの」は一切語ってないけど、同時の方法で語りえるものと語りえぬもの境界をぎりぎりまで攻めようとしている本ではあるらしい。
そう、哲学(対話)をしていると、語れるか語れないかのギリギリのところが気になるんです。
ギリギリ言葉になるかならないかのところを、攻めたいと思うのです。
そうすると、ギリギリ言葉にできた!ってところと、言葉にできないけど言葉にできない何かを感じたというところがあって、その両方がとても愛しいのはなぜなのでしょう。
言葉や理性が万能だと思ってる哲学者なんて信用できない。
「知への愛」や「無知の知」はいつも、知と無知の、語れるものと語りえぬものとの、境界にある気がする。