今日は、フリーデザイン岡山へ。
午後組のみなさん+オンラインの参加希望者と一緒に、哲学カフェをしてきました。
午後組は、前回がコミュニケーション哲学カフェだったので、今回は縛りなしのプレーンな哲学カフェです。
参加者から、こんなテーマ案がでてきました。
- 人にはなぜ好き嫌いがあるのか?
- 伝わる/伝わらないってどういうこと?
- 友だちと親友の境目は?
- 感覚がちがうとイライラするのはなんで?
- あきらめるってなんだろう?
豊作!
どれもおもしろそうですが、シンプルに話してみたいテーマに挙手してもらったたところ、「感覚がちがうとイライラするのはなんで?」が圧倒的人気だったので、今回はこれについて話すことに。
におい、トイレの蓋を開けておくかしめておくか、整理整頓、コロナウィルスに対する危機感のちがいなど、感覚の違いでイライラしたことだけじゃなく、びっくりしたこと、ヒヤヒヤした経験、反対にイライラさせちゃった経験なども交え比較しながら、考えました。
場合によっては、「感覚がちがうってどういうこと?」についてもあれこれ考えられそうなテーマですが、今回は、
- イライラってなんだろう?
- イライラとヒヤヒヤのちがいは?(ヒヤヒヤは危険センサーで、イライラは心地よさセンサー?)
- イライラに対する対処法は?(原因をなくす、逃げる、理解する、あきらめるetc.)
- イライラするってわるいこと?
- イライラしてる人を見るとイライラするのはなんで?
というふうに、イライラについていろんな方向から切り込む展開となりました。
また、イライラに対する対処法の一つとしてあがった「あきらめる」についても、
- 諦めたらイライラはなくなるのか?それとも緩和されるだけ?
- 何かを諦められるときに、何が起こっているのか?
- 理解することは諦めるの反対?それとも諦めるに至るプロセス?
と、あれこれ考えることができました。
まさかこのテーマから、もう一つのテーマ候補だった「諦めるってどういうこと?」について迫ることになるとは!
上記の問いを行きつ戻りつして考えたなかで、特に印象的だった発見をいくつか書き残しておきましょう。
- イライラは心地悪さを知らせてくれるセンサー
- イライラを感じること自体は悪いことではない
- イライラを感じなくなることは不可能だけど、イライラへの対処法がたくさんあることを知っていれば、イライラを緩和・解消することはできる
- イライラしちゃった人とイライラさせちゃった人の相互理解をとおして、どちらか一方がもう一方を我慢させるのではない解決法が生まれうる
- 諦められないから「なんで?」と思うけれど、「なんで?」をきいた結果、理解できればイライラはなくなる。それを「諦めなかった結果理解できた」と捉えるか、「理解できた結果諦めることができた」と捉えるか???
テーマを提案してくれた方からは、「自分だけがイライラしてるのは人間が小さいからかなと思ってたけれど、みんなもけっこうイライラすることがあるんだなとわかって、ほっとした」という感想も。
たしかに、イライラを見せると相手もイライラするからと思ってイライラを見せないようにしていると、お互いのイライラに気づかず、「自分だけがイライラしてる」と誤解してしまいそう。
イライラに関する探究をとおして、共にいるとはどういうことかについても考えさせれる対話でした。
対話のなかでも指摘してくださった方がいましたが、コロナウィルスの影響で、以前より個々人の感覚のちがいに敏感になるシーンが多い昨今。
よかったら、みなさんも、上記の発見をヒントにしていただければ幸いです。
イライラというセンサーをヒントに、感覚の異なる人たちが互いに心地よく過ごせるあり方を探してみましょう♪