あけましておめでとうございます。
そして、能登半島地震により被害に遭われた皆さまへ、心よりお見舞いを申し上げます。
しばらくブログ書いてないな〜と思ったら、だいぶご無沙汰してしまっていました。
地震のこともあったし、その前後も個人的なことでバタバタしたり、心身がちょっぴり落ち込みぎみだったり‥‥‥。
そんななかでも、哲学対話は元気に実践しているし、書きたいこともたくさんあるのですが。
いや、そもそも、「元気がないときでも哲学対話だけはできる」というのが、この仕事を選んだ主な理由なので、哲学対話はできるのに書けないときがあるというのは、当然っちゃ当然のことなのです。うん。
にもかかわらず、文章を書けないときがあるということにいちいち落ち込んでしまったりするのは、なんなんでしょうね。
書きたいという欲求が自分にあるからなんでしょうか。
書けるときは書けるけど、書けないときは書けない。そういう自分の性質とどう付き合っていくか、ずっと迷い続けています。
そんな年末に、届いた本。
梶谷真司さんの『哲学対話の冒険日記』。
(「われら思う、ゆえにわれらあり」って、何年か前、仮面ライダーのオープニング曲の歌詞にもなってたんだけど、梶谷さん、知ってるかしら?)
そこに、私が東大UTCPでお話しさせていただいたことも‥‥‥。
自分が話しただけで文字にはできていないことを、こうして受けとめて本のなかに入れてくれる人がいるなんて、なんともありがたすぎる。
そして、さすが梶谷さん。私が話したことをとっても正確に受けとめてくださっている。
本を読みながら、そういえば、“てつがくやさん”構想を初めて人前で話したのは、梶谷さんがお招きくださった東大UTCPだったなぁ、と思い出しました。
あのとき(カフェフィロで副代表としてマネジメントを担当していた2013年当時)はまだ、カフェフィロという団体 で“てつがくやさん”を本格的に事業化する可能性も考えていたんだけど、その後、メンバーそれぞれのやりたいことや生活を尊重した結果、“てつがくやさん”は主に個人で実現することになったのでした。*1
“てつがくやさん”という言葉にこめた想いや考えは変わってないし、いまもカフェフィロの活動と相容れないものではないけれど、それを実現するには紆余曲折があったこと。
そんな私の紆余曲折が、梶谷さんの哲学対話をめぐる冒険にもなにかしらの影響を与えていることが垣間見得て、なかなか感慨深いです。
そして、私の考えがこれだけ正確に受け止められているということは、この本に出てくる他の人の考えも、かなり正確に拾われているということでは?と、期待しながら読み進めています。(まだ読みかけ)
*1:メンバーには、他に本業のある人が多かったこともあり、負担が一部の人に偏ることを避けようとすると、これが必然だったと今では考えています。