4月14日(日)は、哲学カフェ尾道。
テーマは、「味方とは、どのような人か?」でした。
前半は、
- 関係性がベースにある味方(家族など)
- 立場や価値観が同じことによる味方(同じチーム、仕事に関する考え方など)
という2種類の味方のちがいを中心に、後半は、ふだんは可視化されていない味方が可視化されるのはどういう時かを中心に対話が展開しました。
そのなかで個人的には特に、マスターの「単に賛同するのと、味方になるのはちがう。なんの表明なしに、心のなかで賛同しているだけでは、味方とは言えないんじゃないか?」という説が、印象に残りました。
最初は、なんとなくそうだろうなとは思うものの、その理由やなぜその説が重要なのか、わかりませんでした。
が、みなさんのスポーツ観戦やいじめ、職場での例をきくうちに、
- 心の中で応援しているだけでは、相手に自分が味方であることが伝わらず、助けを求めることができないこと
- 敵が多数を占める状況で「私はこの人の味方です」と表明することは、リスクを伴うと同時に、味方してもらった人にとっては大きな力となること
などなど、味方だと表明することに大きな意味があることに気づかされました。
スポーツ観戦で応援しているチームを着ること、いじめられている人に声をかけること、職場で自分の意見を述べること‥‥‥。
そもそも、ふだんは「誰が味方か」なんて意識しないことが多いけれど、スポーツ観戦のアウェイ戦や、いじめに遭ってるときなど、敵に囲まれている(ように見える)状況では、誰かが味方だと表明してくれるだけで、孤立した状況から救われるということ。
これは、今後、哲学を実践していくうえでも、人生を歩む上でも、忘れられない発見になりそうです。
ご参加くださったみなさん、ありがとうございました。
次回の哲学カフェ尾道は、こちらです。
ひさしぶりの、ことわざシリーズ。楽しみ♪