昨日の研究会で刺激とお土産をいただいて、先ほど、faceboookにこんなふうに書きました。
実践にかまけていると、自分がやっていることがなんなのか、ときどきわからなくなる。あるいは、思考が膠着してしまいそうになることがあります。けど、哲学カフェとは何か、自分がやっていることの意味やそれを成り立たせている社会的条件についてもときどき省みておかないと、リスクもあるし、哲学の語源である「知を愛する」営みとしては不十分だとも思う。知を愛するなら貪欲に。持病のこともあってなおざりにしてきた研究を、ゆっくりとでも再開したいと思う時間でした。
しかし、そう書いて投稿した矢先、めっちゃ生理痛(涙)。
そうだった、生理痛や子宮内膜症による痛み(ひどいときは1年のうち360日は痛い)がきついと、哲学カフェしかできなくなる人だから、痛みで文章書いたり研究なんてできなくなっちゃうから*1、だから“てつがくやさん”になったんだったわ、わたし。*2
女性ホルモンが減ったからか、ストレスが減ったからか、最近めちゃくちゃマシになった気がしてたけど、やっぱり病いとどうつきあっていくかという問題は、つきまとうんだなぁ。
でもやっぱり諦めたくない。
ゆっくりでもいいから、不十分で拙くしかできなくてもいいから、不十分さはきっと他の誰かが補ってくれるから。
カミサマ、子どもを産むことおを諦めたぶん、もうちょっとだけ欲張りにならせてください。
少しでも大事なことを言語化するために、もう、こんなどうしようもないことも、書いて意味があるのかどうかわからないことも、なるべく書き出していくことにしよう。