松川えりのてつがく日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川えりのブログです。

「平等は、どこまで必要ですか?」@anntenna Coffee House

8月8日(日)は、哲学カフェ尾道

antenna Coffee Houseでハイブリッド哲学カフェでした。

 

14:00ごろお店に到着して、マスターと一緒にセッティング。

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その後、腹ごしらえをして‥‥‥

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(マスター特製 パストラミビーフサンド。美味)

 

15:00スタート。

テーマは、「平等は、どこまで必要ですか?」。

本当は6月の哲学カフェで扱う予定だったテーマなんですが、緊急事態宣言の影響で8月に延期に。

今回は無事開催できて、ほっ。

 

今回は5歳のお子さん連れの方もいらっしゃったので、その子に説明するとしたらなんて説明する?

3人いたら、ケーキは3等分?

幼稚園のことは園長先生だけで決めるより、他の先生の意見も聞いたほうがいいのはなぜ?

‥‥‥なんてのもヒントにしながら、

 

  • 平等と公平のちがいは?
  • 「どこまで必要」ってどういうこと?
  • 機会の平等と結果の平等、どっちが大事?

 

の3つが主な論点としてあがってきました。

 

どの論点も興味深かったけれど、今回、個人的に衝撃だったのが、わたしが「機会の不平等」と捉えていたものが、ある人には「結果の不平等」と捉えられるということ。

私は「家から通える国公立大に行きなさい」と言われたのに姉は下宿して私大に通わせてもらっていた、というわたし自身の経験を、わたしは「機会の不平等」の例としてあげたつもりだったのですが、「それは結果の不平等なのでは?」と言われて、混乱。

哲学カフェから1ヶ月以上たった今でも、「果たしてあれは、機会の不平等なのか、結果の不平等なのか?」と答えが出ぬまま、ぐるぐるしています。

まだ答えは出ていないけれど、これは、なんだかものすごく大きな発見のような気がする。

わたしは「機会を与えてもらえなかった」と感じてきたし、親は機会を与える存在であって結果を与える存在ではないと思っていたけれど、親とっては、なにかしらの「結果」の問題だったのかもしれません。

 

こうした捉え方のちがいによって、「どこまで必要?」の答えもかわってきそうですね。

 

自分がずっとモヤモヤしてきたことに直結するテーマだったので、後半、ずいぶん、わたし自身が参加者として参加してしまいました。

しかし、わたしが家族の問題を考えるうえで、革命的な回となりました。

 

ご参加くださったみなさん、antenna Coffee Houseさん、ありがとうございました。

 

 

さて、次回の哲学カフェ尾道は‥‥‥

10月10日(日)の15:00から。

テーマは「“わからない”って、どういうこと?」です。

第30回ということで、哲学カフェにも関わりそうなテーマにしてみました。

「“わかる”ってどういうこと?」はどこかで考えたことがあるけれど、“わからない”をテーマに取り上げるのは初めて。楽しみです。

 

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