ちょっと一息ついてからふりかえろう、と思ったら、あっという間に時間が過ぎちゃう今日この頃です。
9月16日(木)の午前中は、大元公民館で子育てモヤッとニコッとカフェでした。
今回のテーマは、「これって個性?」。
前半は、
- 障害は個性?
- 個性はあったほうがよい?
- 個性は先天的なもの?後天的なもの?
という論点を行きつ戻りつしながら、
中盤に、
- 個性は唯一無二のもの?
- 安心はどこから?(カテゴライズされることによって安心するのはなぜ?)
という論点も加わりつつ
終盤は、そこから湧き上がった疑問
- “個性”という言葉をわざわざ使うのはなぜ?(みんな異なる特性をもってるなんて当たり前なのに、なぜわざわざそれを言葉にするの?)
に集中する展開。
いろんな問いをめぐるなかで明らかになったのは、
「障害」も「個性」も、なにかしらの効果や作用を狙って使う言葉じゃないかということ。
「障害」という言葉を使うことによってサポートが受けられたり、
「個性」という言葉を使うことによって変わることを強要されずにすんだり。
「障害」と「個性」、どちらも変えようと思っても変わらない特性を指す言葉だけど、どんな効果を狙うかによって、使う言葉は変わってくるかもしれない。
今回の対話のなかで出たように「個性を大事にしよう」なんてわざわざ大袈裟に言わなくても、なにかしらの個性はみんなあるだろうし、「個性」や「障害」なんて言葉をわざわざ使う必要性を感じない人もいる。
けど、その一方で、「個性」や「障害」という言葉に救われる人もいる。
終了後、このテーマは子育てに以外の場面にも関わるけれど、子育ての場面ではよりリアリティをもって迫ってくる場面が多いテーマなんじゃないかな、とも思いました。
すでに成長した大人に接するぶんには、「ああ、この人はこういうの苦手なんだな。じゃあ、これを任せるのはやめて、得意なことを任せよう」ですむかもしれない。
けど、なにもできない赤ちゃんから子どもを育てるときは、現時点の「できる/できない」で判断せず、将来の伸び代も見越して、チャレンジする機会を与えたり、成長を促す必要がある。
いまはできなかったり嫌いだけど、チャレンジするうちにできるようになったり、好きになったりする可能性もある。
だからこそ、「これが苦手なのは、この子の特性なのね」とひいてしまってよいのかどうか迷うんじゃないかなぁ。
個性を大事にしようとして、「この子はこういう子だ」と決めつけてしまうというリスクもありそう。
そうおもうと、今回の対話の終わりに確認された捉え方はちょうどいいのかもしれません。
「個性を大事にしよう」なんて大袈裟に考えるのではなく、「これがこの子の個性だ」と大仰に捉えるのではなく、そっとしておいてほしいときは「個性」という言葉を使い、サポートが必要なときには「障害」という言葉を活用する。
それぐらいの軽やかさで。
でも、その言葉に救われる人もいるということも忘れずにいたいな。
ご参加くださったみなさん、大元公民館さん(今回はいつもお世話になっているふみちゃんが研修だったので、むーさんがお付き合いくださいました)、ありがとうございました。