久しぶりの和室。
脚がつらくないように、別室から椅子と机を運んできました。
(コミュニティボールが使えたら机はいらなかったんだけど、コロナ禍でボールを使えないのと、以前、机がないと落ち着かないという声もあったので。)
テーマは、5月に取り上げる予定がコロナの影響で運悪く(?)流れてしまった「運ってなんだろう?」。
占いの話からはじまり、遺伝や生まれた環境、宝くじ、偶然通りかかってた人に助けられた人の話、自然災害などを例に‥‥‥
- それって運なの?
- どこからどこまでが運?
- 運は切り拓くもの?それとも変わらないもの?
- 運は本当にある?それとも捉え方次第?
などなどの論点を行ったり来たり。
同じ「運」という言葉でも、偶然性、運命、運勢、バイオリズム、エンタメなどなど、いろんな捉え方があるし、そもそも運なんて全然気にしないという人もいて、おもしろい。
途中、自分を受け入れることや、「生かされている」という感覚との関係などにも話題が及びつつ、「運」の構成要素や、運を運たらしらめているもの、なぜ「運」という言葉を使うのか(あるいは使わないのか)について考えました。
わたしは最初、「これは運やろ!」と思う例がいくつかあったのですが、捉え方次第派の意見をきくうちに、「自分が運だと思いたいだけかも???」と迷いが生じてきて、聞けば聞くほどわからなくなってきました。
全部かどうかはわからないけれど、少なくともいくつかの例については、運だと思いたい自分がいるような‥‥‥。
逆に、何かしらの意味を見出したいから、単なる運(ラッキー/アンラッキー)だとは捉えたくないという人も。
なぜ、運だと思いたいのか?
今度、運がいいとか悪いとか思うことがあったら、考えてみよう。
ご参加くださったみなさん、高島公民館さん、ありがとうございました。