10月11日は尾道のantennaさんで、久しぶりのプレーンな哲学カフェでした。
テーマは、「日常って、何?」。
久しぶりにお会いする方とコロナの話題を避けるのも不自然かなぁ、
でもそればかりになるのもね、とマスターが提案してくれました。
「日常」って、学生時代に哲学書を読んで考えることはあったけど‥‥‥
これだけ哲学カフェをやってるのに、哲学カフェのテーマとしては未体験で、とても楽しみにしてました。
実際、みなさんと対話してみると、予想以上に、いろんな体験や例がでてきて味わい深い!
田舎の日常と都会の日常。
コーヒーフロートのワクワクする非日常感と、
道に迷ったときのハラハラする非日常感。
旅先で誰かの日常に紛れ込んだときの不思議な感じ。
受験や就職活動といった、自分が望む日常を得るための非日常。
「これを日常だとは思いたくない、日常にしたくはない」という想い。
職種によっては、毎日が非日常?
哲学カフェは非日常?
マスクはそろそろ日常?etc...
テーマとなった「日常って何?」の答えに関しては、
「慣れたら日常」「意識されないのが日常」など、いくつかの仮説が出たものの、
全員が「それだ!」という感じには、なかなかならず。
日常の多様性を実感。
でも、そのプロセスのなかで出てきた2つの気づきについては、全員が共有できたかもしれません。
- どんなに慣れようとしても「居心地が悪い日常もある」ということ。
- 人生のなかに「日常を選択する」という場面がありうること。
はっきり確認したわけではないけれど、これが今回の対話の交差点だったんじゃないかなぁ。
参加者6名+マスター+進行役という全員の顔が確認できる対話のなかで、この2点に触れてるときは、なんとなく、全員で接木しながら思考が進んでいくような手応えがありました。
対話のなかで最初に出てきたのは2の「日常を選択する」例だったけど、後半に1の「居心地が悪い日常もある」という指摘が出てきたあと、より一層2の重要性がわかるというか。
わたしにとっても、どちらも言われてみたらそのとおりだと思うけど、言われてみるまではっきり認識してなかった事柄だったので、気づけてよかった。
ご参加くださったみなさん、マスター、ありがとうございました。
次回の哲学カフェ尾道は、哲学ウォーク&カフェです。
アランの『幸福論』の言葉が書かれた紙片をこちらで用意しますので、その言葉にぴったりの場所を探して尾道のまちを歩きましょう♪
手ぶらでご参加OKですが、参加される方は歩きやすい格好(特に靴)でお願いします。