先日、友人とおしゃべりしてるときに、
「好きなことを仕事にするって、どう?」という話題に。
その人の知人のなかには、
「好きなことは、仕事にしないほうがいい。趣味にしとけ」という人もいて、
好きなことを仕事にしてるわたしにも聞いてみたくなったそうな。
たしかに、「好きなことは趣味にしておいたほうがいい」というのもわかる。
わたしの場合、編み物は、趣味にとどめておこうという結論に達した。
ほんの一時作品を販売していたこともあるけれど、
その時々で、自分の編みたいものを編みたいし、
「ちょっと高いけど、どうしてもこの毛糸で編みたい」なんてことをやってると、
材料費ばかり嵩んで全然利益にならなかったりする。
「利益を出すには、材料費は●●円まで」なんて考えてると、
全然楽しくなくなっちゃう。
けど、哲学に関しては、わりと雑食なので大丈夫。
たいがいどんなテーマでやっても楽しめるし、
「ちょっと厳しいな」という予算や条件、出来事でも、
その範囲でいかに哲学できるか!?と考えること自体が哲学実践なのだとおもうと、
チャンレンジ心をくすぐられる。
あるいは、本当に難しい場合は勇気をもって断るという判断もまた、興味深い。
そのすべてのプロセスを、哲学として味わうことができる。
本業にすることで、大好きな哲学をする時間を最優先で確保できるし、
「経費だから」といってお小遣い以上に投資できるのもうれしい。
かといって、一生雑食でいたいという拘りもなくて、
もし岡山に他にも“てつがくやさん”が増えてきたら、
自分の得意分野に仕事を絞ってもいいなとも思ってる。
(まちに1軒しかないパン屋さんが食パン専門店だったらさみしいけれど、
パン屋さんがたくさんあるまちなら、食パン専門店があってもいいよね、というように)
‥‥‥ということを、アランの『幸福論』を読んでいて、ふと思い出したのでした。
自分が本当に望んでいるものを欲することは、
時としてすばらしい人生のヒントになりうるのだ。
(アラン『幸福論』)
こちらの対話の様子も、なにかのヒントになるかも?