てつがくやさんの気まぐれ日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川えりのブログです。

『人文学がもたらすプライマリ・ケアの深みと広がり』@日本プライマリ・ケア連合学会

第15回日本プライマリ・ケア連合学会学術大会のオンデマンド動画が配信開始となったようです。
なんと私も、『人文学がもたらすプライマリ・ケアの深みと広がり』というシンポジウムに、宗教学がご専門の井川裕覚さん、スピノザがご専門の高橋在也さんと登壇。
各々の専門から「弱さ」について意見交換しています。
 
 
オンデマンド配信のプログラムは、こちら
 
「人文学」ときいて、あなたはどんなイメージをもつだろうか。
人文学には文学や哲学、宗教学、歴史学などが含まれる。一見すると医療と縁遠いように感じられるかもしれない。しかし家庭医療学をはじめとして、実は医療と人文学には接点が多い。
例えば、医療従事者が人文学をまなぶ意義のひとつとして、様々な思想や価値観にふれることによる相対的かつ多角的な視点の獲得があげられ、それは多様性の受け入れや包括的な診療姿勢にもつながる。しかしそうはいっても、医療従事者にとって、普段意識しなければ人文学にふれる機会は少なく、人文学をまなぶ意義も実感しづらいかもしれない。
そこで今回、人文領域で哲学や宗教学を専門とする3人の講師をお呼びし、視聴者に人文学とプライマリ・ケアとの化学反応を体験してもらえる企画を用意した。
企画前半では「ケア」や「弱さ」について、それぞれの専門領域・関心領域での実践や考察をもとに、各講師にご講演いただく。
そして企画後半では、プライマリ・ケア医を含めたシンポジウム形式で議論を行い、プライマリ・ケアと人文学との交わりや接点、プライマリ・ケア従事者が人文学を学ぶ意義、人文学がもたらすプライマリ・ケアの深みと広がりの可能性を、領域を超えた対話の中から模索し、深めていく。
 
(企画概要より)
 
私は、第2の患者会すろーすの対話実践を中心に、人が弱さを抱えたまま主体として立ち現れるための条件について考察させていただきました。
ミシェル・フーコーを読んでいる学生時代からずっと「人が主体として立ち現れる条件」について考えていて、それが最近ようやく、実践と結びついてきたというところでしょうか。
なんせ、思いついたのが録画前夜のお風呂のなかだったので、だいぶ粗削りですが。
 
企画・進行の横田雄也さん(岡山大学*1と孫大輔さん(鳥取大学*2が「尖った内容でも大丈夫」とおっしゃってくださったおかげで、井川さん、高橋さんのお話から学ばせていただくことがたくさんあり、自分の活動についての考察もまた一歩進みました。感謝。
 
そして、近年こんなふうに、医学系の学会にお邪魔させていただくことが、ちらほら。
特に「医療系の対話を積極的にやっていこう」という意識はないのですが、こうして声をかけてくださる方が複数人いるということは、やはり、医療について哲学にできること、やるべきことがまだまだあるのだなという必然性を感じています。
その必然性については、哲学を専門とする人たちにもなにかしらの方法でシェアしていかねば。*3
 
 
今回のシンポジウムのなかでもご紹介した、第2の患者会 すろーすで、来月、ちょっと特別なイベントがあります。
 

©︎第2の患者会 すろーす
医師の小比賀美香子さんと、看護師の菱沼路代さんによる対談を中心に、家族と医療者、両方の視点からがんと家族のあり方について考えます。
どなたでもご参加可能ですので、お関心のある方はぜひ!

*1:岡山大学で行っていた医療者のための哲学カフェで知り合いました。

*2:哲学プラクティショナー界隈でもご存知の方が多いかと

*3:最近、哲学プラクティス学会のあり方について考えをめぐらす機会があったのですが、まさにこういうことをシェアする媒体として活用できるといいなぁ。