10月は、ワクチン接種2回目と、その前後に皺寄せしたお仕事と、会場開催のイベントが全く中止にならなかったのと、以前から種をまいてたプロジェクトが動かしたのと‥‥‥一気にいろんなことがあって、後半全然ブログまで手がまわらず。
すみません。
そんな大忙しの10月の最後の哲学対話が、国立ハンセン病療養所「長島愛生園」での哲学ウォークでした。
テーマは「生きる」。
哲学ウォークなのでテーマはなくてもいいんですが、長島を訪れるたびに、「ここで、生きるってどういうことか、じっくり考えてみたい」とおもってたんです。
わたしのほうで、「生きる」に関係しそうな哲学者の言葉から何篇かを選び。
さらに、一緒に企画した喫茶さざなみハウスの鑓屋さんが、愛生園の園誌『愛生』から、愛生園で暮らしていた方々の詩をいくつか選んでくださったので、そこからも2篇。
選んだ言葉をクジにして参加者にひいてもらい、その言葉と関連するスポットとコンセプトを探して歩きます。
写真に参加者が写ってるのは避けて、一部だけご紹介すると…。
人生は解かれるべき問題ではなく、経験されるべき現実である。(キルケゴール)
コンセプトは「いのちの初夜」。
この世では 絶望より 明るく生きるほうがむつかしい(島田等)
コンセプトは「絶望」。
生はいつも まっしぐらに進んでいる(志樹逸馬)
コンセプトは「まっしぐら」。
スポットとコンセプトが見つかったら、他の人にもらった質問から考えたい質問を選び、また歩く。
私は、「この世では 絶望より 明るく生きるほうがむつかしい」という言葉をひいて収容所内の部屋と「絶望」というコンセプトを選び、「いつも期待してますか?」という質問をいただいたので、「期待」と「希望」の違いや、それらと「絶望」や「生きること」の関係についてあれこれ考えながら歩きました。
最後にさざなみハウスにもどってきて、お茶をしながら、質問の答えと考えたことをあれこれ話しました。
よく生きるとは、長生く生きるということ?
明日死ぬかのように生きるってどういうことだろう?
人間の義務は陰か陽か?
まっしぐらに生きるってむずかしい?
などなど。
特に印象に残ったのは、生きることの陰と陽の話がかなぁ。
みなさんのお話をききながら、「絶望するより 明るく生きるほうがむつかしい」という言葉をのこした島田等さんについて、絶望しながら人は言葉を残すことができるのだろうか、それとも言葉を紡いだからこそ絶望しながらも生きられたのだろうか、なんてことを考えたりもしました。
さざなみハウスから美しい瀬戸内海を眺め風を感じながら、「生きる」について考える。
その時間、その空気とともに、「生きる」ことの不思議さや愛おしさを味わう時間だったなぁ。
いつもの哲学ウォークでは、「歩くときは話さない」がルールですが、今回は要所要所で鑓屋さんにガイドもしていただいたので、2回歩いたぐらいの充実感がありました。
鑓屋さんと一緒だと、ハンセン病や愛生園の歴史だけでなく、現在の愛生園での暮らしについてもあれこれお話をうかがえるので、より「生きる」ということを強く感じるような気がします。
今回は都合合わなくて参加できなかった方もいるので、またできるといいな。
ご参加くださったみなさん、さざなみハウスのみなさん、ありがとうございました。
さざなみハウスのランチ。
野菜もたっぷりでうれしい♪
過去に長島愛生園を訪れた際の記事はこちら↓↓