てつがくやさんの気まぐれ日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川えりのブログです。

「やさしさ、とは?」@宝湯

こんにちは。

8月のイベントの広報準備などをしつつ(明日には、ウェブやメールにてお知らせする予定です。)‥‥‥ふりかえりもしなきゃですね。

 

7月10日(水)は「宝湯」の愛称で親しまれる宝泉相生湯での哲学カフェでした。

テーマは、「やさしさ、とは?」

 

www.facebook.com

 

  • やさしさは行為の前から始まっている
  • やさしさは自己満足
  • やさしさはギャンブル
  • 優しさと易しさ
  • やさしさの柔らかさ
  • やさしさには学習が必要
  • 厳しいやさしさ

などなど、様々な切り口から考えるうちに強く感じたのが、

「やさしさ」と「正しさ」はぜんぜんちがう!

全く別の次元のモノサシだ!ということ。

個人的には、それがこの日一番の発見でした。

 

「やさしさ」の話をしていると、

「本当のやさしさってなんだろう?」って疑問が湧いてくる。

さらに考えるうちに「本当のやさしさ」が「正しいやさしさ」にすり替わって、

うっかり「やさしさ」と「正しさ」がごちゃまぜにしそうになる瞬間がある。

でも、「正しい」からといって「優しい」とは限らない。

「優しい」からといって「正しい」とは限らない。

「正しくて、かつ優しい」ということももちろんあるけど、

正しくない優しさとか、優しくない正しさとかも、めっちゃある。

‥‥‥ということを、みなさんの話の内容からだけでなく、

対話のなかのやりとりそのものからも学ぶことができました。

 

 

おかげで、長年の疑問がひとつ解けました。

「正論言うな!」というセリフ。

「正論言って何が悪い」と全く理解できなかったんですが、

「正しさは脇において、やさしくしてよ」ってことだったんですね。

たしかに、正論をふりかざすとき、わたしたちはやさしさを失いがちかもしれない。

 

まぁ、だからって、「正論言うな!」って言う奴がやさしいかというと、

たいがいそんなことはないんですけどね。

保身のための「正論言うな!」に屈するつもりは今後もありませんが、

「柔よく剛を制す」とも言いますし、

自分のおもう「正しさ」が「やさしさ」を欠いていないかどうか、

ちょっと立ち止まってみる価値はあるかもしれません。

 

実は対話中に、あるエピソードの解釈を巡って一触即発!?なシーンもあり、

ドキドキハラハラしましたが、

それも含めて、学ばせていただきました。

ご参加くださったみなさん、ありがとうございました。

 

 

さて、次回の宝湯の哲学カフェですが‥‥‥

8月は第2水曜日がお盆休みなので、第1水曜日に開催します。

テーマは「アンチエイジング、した方がいいですか?」。

エイジングにアンチな人も、そうでない人も、大歓迎です。

 

www.facebook.com

 

なお、会場にはエアコンがありません。

エアコンはないけれど、お風呂はあります!

終了後にひと風呂!という方は、お風呂の準備もしてくるといいかもです。

(番台で、タオルや石鹸の販売もあります。)