台風の行方が気になる今日この頃ですが‥‥‥
10月8日(火)は、「宝湯」の愛称で親しまれる宝泉相生湯で、月に1度の哲学カフェでした。
ちょうど3年に1度の岡山芸術交流が開催中!
ということで、岡山芸術交流2019のタイトル「もし蛇が」から蛇を抜いて、テーマは「もし○○は」。
岡山芸術交流2019のパブリックプログラムとしてめでたく採用されました。
(蛇関連の企画はコチラ♪)
おかげさまで、岡山芸術交流の案内をみて初めて来てくださった方も。
参加者は、初めての方とお馴染みさんが、半々というところだったでしょうか。
「最近、一時的に難聴になったんだけど、もしずっと耳が聞こえなくなったら‥‥‥」
「もしドラえもんがいたら‥‥‥」
「もし宝くじが当たったら‥‥‥」
「もし女になったら‥‥‥」
「もし隕石が落ちてきたら‥‥‥」
ポジティブな「もし」、ネガティブな「もし」、仮定の「もし」、条件付けの「もし」、希望の「もし」、不安の「もし」、後悔の「もし」‥‥‥
様々な「もし」が出てきました。
なかでも参加者間の相違が明らかになったのは、「もし、100歳になったら‥‥‥」から始まった「もし」と幸福の関係をめぐるやりとりではないでしょうか。
「100歳になったとき、健康だったら幸せだけど、そうじゃなかったら‥‥‥」という発言に賛同する方もいれば、
「でも、いま病気や障害を抱えている人が幸せじゃないとは限らないのでは?」という指摘も。
「『もし』を考えることによって、幸せに近づく選択ができる」という方もいれば、「幸せは『もし』の一つの例にすぎず、『もし』と幸福のあいだに必然的な関係はないのでは?」という方も。
「仮定の『もし』も後悔の『もし』も、実現しようがしまいがなるようにしかならないから、考えても意味がないのでは?」という意見もあれば、
「ポジティブでもネガティブでも、『もし』と考えられること自体に意義がある」という意見も。
その後、ifとwhenのちがい、「もし」のもつ想像力や創造力、歳をとると「もし」とあまり考えなくなるのはなぜか、パラレルワールド(いまいる世界も「もし」のひとつ?)などなど、「もし(if)」の特徴に思い巡らし、幸福との関連に触れたり触れなかったりと対話が展開しました。
先週、岡山芸術交流2019の作品をあれこれ鑑賞してきたけど、みなさんの話を聞いたあと作品を観たら、またちがった発見がありそう。(時間があれば、もう一回観て回りたい。 )
「もし」、深いです。
15年も哲学カフェをしてきて、何故このテーマでやったことがなかったのか不思議に感じるほどに。
実践の数だけはそこそこ積んできたつもりだけど、まだまだ、やったことがない面白いテーマがあるんだなぁ。
そんなことに気づかせてくれた岡山芸術交流2019は、11月24日(日)まで。
「現代アート、なにそれおいしいの?」という方こそ、ぜひイベントに参加してほしい!
松川企画・進行のパブリックプログラムも、あと2回ありますよ。
ひとつは、アート作品を観て語り合う哲学カフェ、ミルトーク。
もうひとつは、哲学書の言葉に触れる哲学カフェ。
どちらも、現代アートや哲学に関する知識は一切不要。
「現代アートって敷居が高い」「哲学書なんて一人で読めない」そんな方も大歓迎♪
そんな方にこそご参加いただきたくて企画しています。
3年に1度しかない、この機会をお見逃しなく!