4月8日(日)の午前中は、スロウな本屋で子どもたちと楽しい哲学の時間。
今月発売の『この世界のしくみ 子どもの哲学2』より、「私は誰のもの?」について話し合いました。
お母さんから生まれたからお母さんのもの。
お父さんとお母さんのおかげで生きてるからお父さんとお母さんのもの。
そのお父さんとお母さんがいるのはおじいちゃんとおばあちゃんのおかげ、おじいちゃんとおばあちゃんがいるのはひいおじいちゃんとひいおばあちゃんのおかげ‥‥‥ってことは、私たちは祖先も含めた家族のもの。
自分のしたいようにしたいから自分のもの。
じゃあ、お母さんのものだったら、お母さんの言うこと聞くべき?
縛られたくないから誰のものでもない?
途中、男子二人がビー玉の取り合いを始めちゃって一瞬焦りましたが、「ビー玉が誰のものか、どうやったらわかる?」と、いったん「私は」から離れて、「〜のものってどういうこと?」を考えるきっかけに。
最初は作った人のものだったビー玉も、売ったら買った人のものになる。
じゃあ、私はずっと同じ人のものかな? 誰のものか変わるとしたら、どんなとき?
大人になったら? お母さんが死んだら?
大人しい子も元気いっぱいの子も、自分の考えや疑問を一生懸命言葉にしてくれました。
「おもしろかった!」という子は、おめでとう!
おもしろいって感じたなら、哲学できたって証拠だよ。
「難しかった!」という子も、おめでとう!
哲学は、いつだって誰にとっても難しい。
何がどう難しいのか、それも大切な発見。
だから、難しいと感じたなら、ちゃんと哲学できたって証拠だよ。
本では、同じ問いについて、3人の哲学者が三者三様の考えを述べていますが、今回の子どもたちの対話から、本には全くない面白い論点が発見されました。
こんなふうに、一つの問いについて、様々な考えや観点がありうるのが哲学の面白いところ。
よかったら、みなさんも本のなかの哲学者の意見と比べてみてください。
6月には大人向けのトークイベントと哲学カフェを開催すべく企画中です。
お楽しみに♪