昨日10月13日(土)は、スロウな本屋さんでえほん哲学カフェでした。
今回取り上げたのは、店長にご紹介いただいたこちら。
- 作者: ホセカンパナーリ,ヘスースシスネロス,Jos´e Campanari,Jes´us Cisneros,寺田真理子
- 出版社/メーカー: 西村書店
- 発売日: 2011/09/30
- メディア: 大型本
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日本各地で自然災害が多発する今日この頃、こういう思いにかられる人も多いのでは?かくいうわたしも‥‥‥ということでこれを選びました。
色合いも、なんだか秋っぽいし。
それに、なんというか、共感できるところと「え?」なところが絡み合った不思議な一冊なのです。
以下、ネタバレご注意です★
おじさんが毎日読む新聞には、全身がふるえあがるような記事も、たくさん。
不安でたまらないおじさんの頭のなかを、ある言葉がぐるぐる。
なにか、わたしにできることは?
おじさんは、その一言をなぜ口にできなかったのでしょう?
そして、その言葉が口からとびだしたとき、一体何が起こるのでしょう?
(えほん哲学カフェ『なにか、わたしにできることは?』案内文より)
いろんな感想、疑問が出てきました。
- 「なにか、わたしにできることは?」と思うのはどんなとき?
- 新聞を読んで、「なにか、わたしにできることは?」と思うことはある?そう思ったおじさんは感受性豊か?それとも?
- 具体的に「〜しましょうか?」と言うのと、「なにか、わたしにできることは?」と言うのとは、どうちがう?
- 声をかけて断られたらどう感じる?
参加者のみなさんの、被災経験やボランティア経験、日常的な体験、最初からそうだったのか、ある時からそうなったのか‥‥などなども味わい深く。
しかし、わたしが格別ビックリしたのは、2回目を読んだ後の、絵に関する発見かも。
哲学カフェが始まって1時間20分ごろだったかなぁ。
それまで絵にはほとんど触れず物語について話していたのですが、「なにか、わたしにできることは?」という言葉を口にする前後で、絵がどう変わったかを指摘してくださった方がいて、驚きの声があがりました。
そこから、その絵の違いはおじさんのどんな変化を表しているのか、その変化のきっかけはなんだったのか、考える。
するとまた、参加者の体験が引き出され‥‥‥
という循環を繰り返しながら、徐々にみなさんの関心が重なり、思考が深まっていったような気がします。
それから最後にもう一歩、「なにか、わたしにできることは?」を口に出せる人(時)と出せない人(時)とのちがいはなにか?という問いが持ち上がり。
育った環境の違いによってその人の素地が決まってしまうのか?
でも、もしそうだったら、おじさんが暮らす街が物語の最初と最後でちがって見えたりはしないのでは?
なんて論点が浮かび上がってきたのですが、ここでもまた、絵の違いが考えるヒントになりました。
気になる方は、ぜひ、絵本を手にとってみてください。
スロウな本屋さん(オンラインショップもあり)でもご購入いただけます↓↓
ご参加くださったみなさん、ありがとうございました。