昨日、ヒバリで考える(2)「私、いつまで女子(男子)って言ってもいいですか?」の前に、スロウな本屋の店長さんがオススメしてくれたこんな雑誌を読んでみました。
(以下の感想は、哲学カフェの前に書いたものです。)
「女子後の生き方 みかけとなかみの大問題」特集。
20代から60代まで幅広い年代の女性が買っていくという。
わたし以外にもたくさん、「女子」の後、どうすればいいか迷っている人がいるのだなぁ、と少しほっとする。
目次のあとすぐ、「そうそうそうそう、そうなの!」と強く頷いてしまった言葉。
「女子」と言うのも、はばかられるものの、
ほかにちょうどいい居場所がないのです。
いきなり「おばさん」ではちょっとつらい。
こころの準備ができていなくて、じたばたします。
(『うかうか』no.2、pp.2-3)
なぜ、いきなり「おばさん」ではちょっとつらいのか。
そもそも、なぜ、「いきなり」と感じてしまうのか。
わたしの場合、自分が年を経ることのイメージとして、「おばさん」の前に「おかあさん」がくると思っていたからだ。
もう10年以上も前から、持病が発覚したときから、自分が「おかあさん」になることはなないかもしれない(統計的には50%ですが)とわかっているのに、それでもなお、「おかあさん」を経ずに「おばさん」になることに、「いきなり」感を抱いてしまう。
いや、わかってるんですよ。
同年代の多くが「おかあさん」になったらもう、自分も「おばさん」であるということは。
でもどこかで、「お母さん」か「叔母さん」か「伯母さん」かのいずれかになってから「おばさん」になりたかったな〜というこの気持ちは、一体どこから滲み出てくるんだろう?
まぁ、わたしの場合、「おねえさん」感がないキャラのせいで、余計に「いきなり」感が強いのかもしれませんが‥‥‥。
自分がいつか「おばあちゃん」になることは、わりとすんなり受け入れられるんだけどなぁ。
雑誌は、スロウな本屋さん(オンラインショップもあり)にて、ご購入いただけます。
モヤモヤを言葉にしてくれる「おばあさんになるまで、どう生きましょう?」、
好きな服を着る勇気の出る「何を着たらいいか、わからなくなってしまいました!」 、
「かわいいありきたり」の難しさを思い知る「モテ髪放浪記」、
などなど、軽やかだけど味わい深い記事がつまっています。