スポーツつながりで、もういっちょ。
2月4日(日)は、石川県西田幾多郎記念哲学館にお招きいただき、スポーツにまつわるテーマで哲学カフェをしてきました。
「哲学する本棚【スポーツ】」という企画に合わせて「スポーツに関連するテーマで」とご依頼をいただいたものの、西田哲学館には、スポーツにあまり関心ない人もいるのでは?
せっかくめったに行かない場所に行くんだから、いろんな人に会いたい!
だったら、スポーツ好きの人も、スポーツにあまり関心のない人も一緒に考えられるテーマがいいな。
そう思い、「ルールを変えたほうがいいのはどんなとき?」というテーマを提案させていただきまました。
最近まで知らなかったのですが、スポーツのルールってけっこう頻繁に変わるんですよ。それが面白いなと思って。
日常生活でも、私は、不具合を感じるとすぐルールを変えたくなってしまうタイプ。
その一方で、「どんなルールもそれなりの理由があってつくられたのだから」「ルールがコロコロ変わったらややこしい」と言う人もいますよね。
「じゃあ、どんな場合だったら変えていいの?」と、くすぶってた疑問について考える絶好の機会となりました。
当日は、地元の方も「最近では珍しい」というぐらいの雪。
残念ながら参加できなくなる方もいらっしゃいましたが、二つのこたつを囲むのには十分な人数の方々が集まってくださいました。
ちょくちょく西田哲学館にいらっしゃるらしい方もいれば、「『哲学』なんて全く縁がなかったけれど『スポーツ』に関心があって初めて来た」という方も。
「朝早く起きるというルールを自分で決めたのに、守れない」、「アマチュアの大会なのに、元プロの選手が出られる大会ルールを変えたい」などの体験談をヒントに、「ルールを変えたほうがよいのはどんなとき?」「ルールが変わるのはどんなとき?」について話すうちに、「ルールはなんのため?」と「ルールとはなにか?」、2つの問いを行きつ戻りつしながら思考を深める展開に。
前者の「ルールはなんのため?」については、
- ルールは、公平性を保つためにある
- ルールは、快を増やすためにある
- ルールが存在することによる効果、メリットがある
- 努力目標としてのルールもある
などなど。
これらは、ルールによって異なるのか?それとも「公平性を保ったほうが、スポーツが面白くなる(快が増える)」というように包含関係にあるのか?が気になるところ。
そして「ルールとはなにか?」については、
- 一人だけのためにあるマイルールも、ルール?
- ルールは、必ず組織や集団と結びついている?
- そもそもルールって、100%守らなきゃいけないもの?
- ルールを破ったら罰は必須?
- ルールと約束はどうちがう?
などなど。
特に印象に残っているのは「マイルールもルールか?」という論点でしょうか。
体験談を出した方は、「時間が少ないから、これはこれ以上話さなくても‥‥‥」とおっしゃったのですが、「ルールは必ず組織や集団と結びついている」、「ルールは公平性を保つためのもの」という意見とともに検討すると非常に面白い論点で、最後まで、重要な論点として生き残りました。
みなさんの話を聞きながら、私は「組織や集団も、『私』と同じ一つの個と捉えること、マイルールも組織のルールも同じでは?」などと考えていたのですが、ちょうど正面に座っていた方の発言から、真逆の仮説が飛び出します。
それは、「昨日の私と今日の私のあいだで、公平性が成り立つのでは?」という「私は一人(一つの個)」という前提を覆す視点でした。
個物がいかに個物として把握されるか、私がいかに私として存在するか、関係性のなかから考察した西田幾多郎の生まれた地で、2時間の対話の終盤になって、こんな見解が飛び出すなんて!
その場で咄嗟に言葉にすることはできませんでしたが、密かに感動に打ち震えておりました。
哲学カフェ終了後も、残った方と楽しいおしゃべり。
建物も人も素晴らしく、近くにお住まいの方がうらやましい!!
西田幾多郎Tシャツも入手できたので、Tシャツの季節になったら、西田幾多郎を読んで対話するイベントを企画してみたいな〜。
翌日は、福井県で37年ぶりの大雪だったとか。
私のほうは、サンダーバードが立ち往生したりしたものの、なんとか無事その日のうちに岡山へ帰りました。
北陸のみなさんは大丈夫だったでしょうか?
1週間は、ニュースを見てはドキドキハラハラしておりました。
関連イベントで、2月25日にも哲学カフェを開催されるとか。
その頃には雪の影響もなく、素敵な哲学の時間となりますように!
西田記念館のみなさん、ご参加くださったみなさん、ありがとうございました。