松川えりのてつがく日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川えりのブログです。

「やりたくないけどやるのはどんなとき?」@zoom

4連休2日目の昨日7月24日は、カフェフィロ主催でオンライン哲学カフェを開催しました。

テーマは、「やりたくないけどやるのはどんなとき?」。

先月開催したテツドク!フーコーとともに権力と自由を考えるで、参加者からぽろっとでた「やりたくないけどやる」という言葉にビビビときてしまい、自主的に企画してしまいました。*1

 

cafephilo.jp

 

いやはや、やってよかった!

 

開始40分ぐらいで、早くも

  • 外的要因とそうでないもの(内的要因?)の区別と関係性について
  • そもそも人間はやりたくなくてもできるし自然にやってる説(「やりたいからやる」という前提への疑い)

と、要となる2つの論点についてぐいぐい掘りおこされていく展開。

この2つの論点が、テスト、バイト、マスク、映画館で寝ちゃう、受験、戦争、生きるなどなどを例に、

  • 複数の「やりたい」のせめぎ合い(意志が求めるものと身体的欲求)
  • せねばならぬという義務はどこからくるのか?
  • 「やりたくない」も環境によって「やりたい」に変わることがある
  • 「やりたいかどうか」と「どうありたいか」のちがい
  • 「やるといいことがある」と「やらないと不利益を被る」のちがい

 

といった視点から深められたり、関連付けられたり。

そして、終盤の30分は「自分の心地よさを超える行いは利他の精神によって生まれる」という説から、「やりたくないけどやる」と利他と利己、他者と自己の区別をめぐる議論へと発展しました。

私なんかは「やりたくないけどやる」ときにこそ自他の区別を明確に感じることが多いのですが、「やりたくないけどやる」のは自他の区別が曖昧だからじゃないかという意見や、自他の一体感によって「やりたくない」が「やりたい」に変わるいうるというポジティブな側面を指摘する声にも説得力があったのは、おもしろいなぁ。

 

テーマは「やりたくないけどやる」でしたが、対話全体としてはそこに止まらず、「せねばならない」「やりたいのにできない」「やりたくなくてもできる」「やりたいとかやりたくないとも思わずに自然にやってる」などなど、「やりたいからやる」には還元できない事柄についてじっくり考えられた時間だったように思います。

 

そもそも、このテーマを取り上げようと思ったのは、私のなかに「『やりたくない』ということも、なにかしらの『こうしたい』に繋がっているのでは?」という疑問があったからなのですが、今回の対話をとおしてそれはものすごく視野が狭かったことに気づかされました。

私は、極力やりたくないことはやらないという方針でこれまで人生の選択をしてきたけど、生まれてきたくて生まれてきたわけじゃないし、そういう意味では、まさに参加者の一人が言ってくださったように「そもそも生きるということも、やりたいからしてるわけじゃない」。

 

すべての「したくない」は、裏をかえせば何かを「したい」と言えるか?

という問いに、みなさんと対話する前はYESと答えた気がするけど、いまははっきりNOと答える。

それぐらい、考え方が変わった‥‥‥というよりも、視野がぐっと広がりました。

 

ご参加くださったみなさん、本当にありがとうございました。

 

終了後、一緒に企画したカフェフィロの廣井さんが、「『やりたくない』がこんなに奥深いものだったなんて! 次に『やりたくな〜い』と思う機会が楽しみになっちゃった」とおっしゃっていましたが、わたしも!

まさか、「やりたくない」が楽しみになる日がくるとは、驚きですね。笑

 

哲学カフェって本当に何度やっても飽きないな〜、と再確認させてくれた対話でした。

 

*1:自主企画はときどきやるけど、それも参加者の誰かの「こういう哲学カフェしたい」に応えてということが多いので、ここまで完全に「ただ私がやりたいから」と誰の要望も感じず企画することは珍しいかも?