iPhoneのメモリがいっぱいになったので写真整理してたら、6月のフリーデザインの哲学カフェのが出てきました。
これらのテーマ候補から…
選ばれたのは、「納得できないルールも守らないといけないのか?」。
時代遅れのルールが変わらず残ってしまう仕組みが解き明かされた回でした。
ちょうど哲学プラクティス学会の規約変更のために動いてる時期だったから、わたしにとってもタイムリーなお題でうれしかったなぁ。
(その後、無事、規約変更案もできました。)
そういえば、毎日小学生新聞のほうにも、ルール関連の問いが届いてたような。
哲学を恐れる人の多くが、こうしたルールに関する問いを恐れている。
ルールに疑いをもつことを許してしまったら、社会やコミュニティの秩序が失われるのでは、と心配しているのだ。
けれど、ちゃんと疑うぶんには、疑いに対する疑いも生まれてくるので、案外大丈夫なんじゃないかなぁ。
子どもたちと校則について対話してみたら、わかる。「こんな校則要らない」派もいるけれど、「やっぱり必要」派も根強く存在するものだ。
むしろ、ちゃんと疑う機会、多角的に疑う機会が奪われているほうが、「こんなルール無意味だ」という決めつけを助長しやすい気がする。
本当に意味のあるルールなら、疑われても吟味に耐えられるはずなのだから。
(そう考えると、ルールを疑うことを恐れている人が、最も、ルールの存在意義を疑っているとも言えそう。)
それにやっぱり、「ルールだから」と盲目的に信じるのも危険だ。
どんなに人間が進歩しても、ルールがアップデートされなければ、社会は進歩しそうにない。
進歩しなきゃとは思わないけれど、足枷はないほうがいい。
そんなわけで、ルールについてのモヤモヤ、今後も大事にしていこう。