ずいぶん長い間、書きかけのまま下書き保存されてるレポートがたまってしまっています。
今日は、3ヶ月ぐらい時を遡って‥‥‥
4月23日(金)に岡山市立大元公民館主催で開催された、子育てモヤッとニコッとカフェをふりかえります。
この日のテーマは、「自己肯定感って?」。
前年度に、「モヤモヤを出し合おう!会」のモヤモヤから生まれたテーマ。
「自己肯定感ってなに?」とすることも「自己肯定感って必要?」とすることもできたんですが、あえて限定せず「〜って?」にしてみました。
「自己肯定感が高いな〜」と思うのはどんな人?
自己肯定感は高ければ高いほうがいい?
「私、自己肯定感が低いんです」ってどういうこと?
なぜ子育てをしていると自己肯定感が気になるの?
だれがだれを肯定するの? 理想の自分が現実の私を?
その理想は本当に自分の理想? 周囲の理想?
自己肯定感の反対は? 自己否定感? 他者否定感?
回復力(レジリエンス)と自己肯定感の関係は?
などなど話し合うなかで、特に強く印象に残ったのが、誰かの自己肯定感を高めるために、別の誰かの自己肯定感が損なわれるような事態が起こっているのでは?という指摘。
子どもの自己肯定感を高めようとがんばればがんばるほど、「どうしてうまくできないんだろう」と自分自身の自己肯定感が損なわれてしまったり。
ある子の自己肯定感を高めようとするあまり、別の子のことを悪く言ってしまったり。
「自己肯定感が大事」ときいて、「私って、自己肯定感が低い。こんなんじゃダメだ」と焦ってしまったり。
きちんと大学などで専門家から「自己肯定感」について学んだという人はそんなこともないようですが、「自己肯定感」という言葉が一人歩きするなかで、「自己肯定感を大事にしよう」という言葉によって、その言葉が意味するところとはとは裏腹に、「自己肯定感」という言葉が誰かのプレッシャーや負担になり、誰かの自己否定感が蓄積されていくような事態が引き起こされてしまっている。
対話の前は、「自己肯定感って哲学カフェの参加者からもよく聞くけど、なんでみんながそんなに気にしているのか、自己肯定感ってなんなのか、よくわからないな〜」とちょっぴり不思議に思ってた私でしたが、この発見によって、自分のなかにも「自己肯定感」に関するモヤモヤがしっかり溜まっていたことと、そのモヤモヤの正体に気づかされました。
子育てにまつわる哲学カフェの魅力のひとつに、一般的に子育てにおいて「大事」と言われていることをちょっと疑ってみることができる、ということがあると思うのですが、この回は特にそのよさが出た対話だったと思います。
みなさんも、自己肯定感というモノサシの濫用にはご注意を★