今日は大元公民館にて、子育てモヤッとニコッとカフェでした。
子育てに関するモヤモヤからテーマを設定している哲学カフェです。
本日のテーマは「一人っ子ってかわいそう?」。
子どもが一人っ子なのを周囲に「かわいそう」と言われてモヤっとした人。
自分が一人っ子で「かわいそう」と言われるたびにモヤモヤしてきた人。
子どもに「妹がほしい」と言われ続け、いざ産んでみたら「妹はいらない、お姉ちゃんがほしい」と言われてしまった人。
何気なく友達に「一人っ子でかわいそう」って言ったら、「なにがかわいそうなの?」と返されてはっとしたことのある人。
一人っ子にも兄弟姉妹にも、メリットもあればデメリットもある。
けど、それは「かわいそう」とはちがうのでは?
「大変」と「かわいそう」のちがいは?
そもそも「かわいそう」って誰のことを言ってるの?
などなど考えるなかで次第に話題は一人っ子以外の「かわいそう」にも及び、
「こんな薄着で、かわいそう」「こんなに小さいのにメガネ、かわいそう」などなど、
あちこちに出没する「妖怪かわいそう」(というタイトルの掲示板があったそうな)たち。
なぜ、妖怪たちは「かわいそう」と言うのか?
なぜ、私たちはそれにモヤっとしてしまうのか?
考えるうちに浮かび上がってきたのは、まず「かわいそう」全般に言えそうなこととして、その人のなかの「普通」を基準に発せられる言葉だということ。
「普通」は時代によっても変わるから「かわいそう」も変わる。
多様な人たちがいる社会では、「かわいそう」と言う人は少ない気がするという声も。
また、なぜ子育てしているとやたら「妖怪かわいそう」に出くわすのかについては、妖怪たちは自分とは別のやり方を「かわいそう」と否定することで、自分のやり方を肯定しようとしているのではという指摘も。
特に妊娠・出産に関しては、欲しいけど産めないという場合と、選択して産まない場合とがありますが(その混合バージョンもあるわけですが)、どうも「一人っ子でかわいそう」と言われるのは、ひとり目を産んで3年目ぐらいが多い。*1
5年目ぐらいになると言われなくなるのは、「つくらないんじゃなくて、できないんだ」と思われるからと推測できる。
とすると、「かわいそう」という言葉が投げかけられるのは、親の選択に原因があると思われてる場合で、親の選択が間違っていると言いたいときに「子どもがかわいそう」という言葉が使われているのではないか、といった考察が繰り広げられました。
さらに子どもについて「かわいそう」と言われてモヤっとするのは、「未来を人質に取られた感じがするから」という声も。
たとえば、「一人っ子だと、将来、親の介護で苦労するよ」などと言われると、可能性の一つにすぎないのに、実際どうなるかわからないから、その言葉が呪いのように響いてしまう。
自分は「妖怪かわいそう」にならないよう気をつけよう!
「かわいそう」と思いそうになったら、立ち止まって「本当に?」と問いかけよう!
と心に誓う対話でした。
本当に、子育てってモヤっとの宝庫だし、哲学の種の宝庫だわ。
というわけで、次回は、テーマの種となる子育てモヤモヤはきだし会をやる予定。
ご参加くださったみなさん、大元公民館のみなさん、ありがとうございました。
*1:松川自身の経験では、子どものいない人が「お子さんは?」と言われるのも結婚3年目ぐらいが多いです。