3連休の最終日、9月23日(月・祝)は岡山大学病院へ。
医療者対象の哲学カフェの4回目。
医学生、薬学生、医師、薬剤師、看護師、医療系の出版社の方などが参加してくださいました。
テーマは、「信じるってどういうこと?」
前回「理想の死ってある?」をテーマにした回に、「生まれ変わりを信じるかどうか」という話が出てきて、そこから生まれた問いです。
医療者から「信じる」についてどんな話が出てくるのか予想がつかずドキドキでしたが、帰るころには、
「このテーマ、バカロレアの理系の試験に絶対出すべき!」
と思っちゃうぐらい、おもしろかった!
なんであんなにおもしろかったのか?
もしかしたら、医療に、安易に信じちゃダメという側面と、そうはいっても信じないと進めない、という2つの側面があるからかもしれません。
「信じるという言葉は極力使わないようにしている」
「信じているわけでもないけれど疑っているわけでもないという状態があるのでは」
「物や他者ではなく、自分を信じることにしている」
「ずっと同じものを信じる必要はないけれど、何かを信じてみないことには一歩も踏み出せないのでは」
‥‥‥などなど、慎重ではあるけれど、投げやりでもない。
「信じる」というテーマに真摯に向き合う姿勢に、それぞれの個性も感じられて、ワクワクしました。
エビデンスを信じる、治療や研究の成果が出ると信じる、占いを信じる、子どもを信じる、自分を信じるなどなど、本当に多種多様な「信じる」が出てきました。
盲信することのリスクだけでなく、「信じる」という言葉が孕むリスク(「おまえを信じてる」と言うと相手にプレッシャーを与えることがある)が指摘されたのも、びっくりしたなぁ。
そんななか、特に印象に残っているポイントが2つ。
一つは、血液型占いをめぐる、やりとり。
「根拠がないのに、なぜ信じる人がいるのか?」という疑問を機に、
「信じてるというより信じたいんです!」と自分発言から
「好きなものは信じられる?」という疑問が湧いてきたり、
「いや、これこれこういう成分に関する研究があって、あながちエビデンスがないとも言い切れないらしい」という医療者ならではの指摘から、
「根拠があるってどういうこと?」
「わたしたちが『エビデンス』と呼んでいるのものは『過去のエビデンス』にすぎないとしたら、新たなエビデンスが出てくる可能性をどう捉えるべきだろう?」
と医療の根幹に関わる問いが浮かび上がってきたり。
もうひとつ、 印象に残ったのが、
子育て経験者や塾講師をしてる医学生による、
「根拠の有無は関係なく、子どもを信じるのが大事」という主張。
「お金は、みんなが価値があると信じないと、お金として機能しない。それと同じように、人についても信じないとはじまらないということがある」という説明や、
「信じるというのは、相手に対して防御しなくていいということでは」といった分析を介して、
正しいとか間違っているというのとは別の次元の「信じる」の特徴が浮かび上がってきました。
それに関連して、
「就職してしばらくは、自分が力不足なのでは不安で辛かったけれど、あるとき、職場の人たちはわたしを責めたりしないと信じてみてからは、毎日が楽しくて仕方ない」
と体験談を語ってくださった方も。
その方が、また、まさか岡大病院で再会することになるとは全く思ってなかったのですが、学生時代に別のところで哲学カフェに参加してくださったことのある方だったものだから、会わなかった3年ほどのあいだに学生から社会人になって色々あったのだなぁと、とても感慨深く、
「こんな話を聞けるなんて、哲学カフェをやっていて本当によかったなぁ」
としみじみ思ったりしました。
最後にちょろっとプラセボの話なんかも出たけれど、
そちらもまだまだ話そうと思えばいくらでも話せそうでした。
医療者と「信じる」について考えてみるの、本当にめちゃくちゃおすすめです!