てつがくやさんの気まぐれ日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川えりのブログです。

「平等/不平等」@ゆうあいセンター

先週9月29日は、ゆうあいセンターで自主企画の哲学カフェ。

テーマは、前々回のアンケートより「平等/不平等」を採用してみました。

 

cafephilo.jp

 

  • 常識はコミュニティによってちがう
  • 常識は権力者につくられる
  • 非常識から新しくよいものが生まれることもある
  • “非常識”じゃなく、“無常識”や“未常識”はないのか?
  • 動物にも常識はある?
  • 常識は本能ではなく知性?
  • 常識=正しい???

 

などなど、いろんな話が出たけれど、常識そのものがイヤというより、「常識」という言葉の使い方がイヤという指摘が、とても興味深かったです。

 

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「常識」という言葉にネガティブな印象のある人が多かったけれど、そうでない人もいて、どうも両者のあいだで言葉の使い方がちがう。

 

ネガティブなイメージの方は、相手がしてほしいことを「常識でしょ」と押し付けられるときに使われるイメージ。

その場合、「そうしてほしいならそうしてほしいと、自分の希望として言えばいいのに」と無責任な印象があったり、コミュニケーションが雑だという印象を受けるといった指摘がありました。

 

一方で、ネガティブなイメージはないという方が出された例は、「常識の範囲内でお願いします」というものでした。

それをきいて、たしかに、仕事などで事細かに指示を出されると「細かいなぁ」とうっとうしくなることもあるかもしれないと思ったり。

 

さらに、それを聞いてネガティブ派からは、「でも、家族とか大事な人には、ちゃんと気持ちを気持ちとして伝えてほしい」という声も。

 

そこから「常識=正しい?」「常識は知性?」という問いも出ましたが、「なぜそれをわざわざ“常識”という言葉で言うのか?」という疑問が、今回の対話の底流に渦巻いていた気がします。

 

最後の「これは残したいという常識はある?」という問いかけもそうかもしれません。

「人を騙すのはダメ」という例が出たのですが、「それは、常識というより、ルールでは?」「信念では?」などなど、人によって“常識”として捉えられるものが、他の人にとっては「“常識”でなくても」と感じられる。

そのあたり、もう少し掘ってみたい気もしましたが、おかげで帰ってからも、あれこれ考えさせられました。*1

 

今回の季節限定おやつは、カントリーマアムの熟成焼き安納芋味。美味しい♪

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次回の自主企画カフェはまだ未定ですが、

10〜11月は岡山市内でも岡山芸術交流関連の企画、まちの方々とのコラボ企画など盛りだくさんです。

HPからぜひチェックしてみてください。

 

www.eri-philo.com

 

 

*1:「人を騙すのはダメ」は、英語のcommon senseなら「良識」という意味も含まれるので、しっくりくるかも。日本語の「常識」は「良識」を含んで捉えてる人とそうでない人がいそう‥‥‥などなど。