一昨日夜は、哲学対話のファシリテーターを養成するオンライン講座で、「“できなさ”は評価されうるのか?」という問いについて対話してみました。
一見できていなくても、何かしらできていることがあるから評価されているのでは?
という穴に何度もはまりつつ、
“できなさ”が“できないまま”に評価されることは、果たしてあるのか?
にあらゆる角度から迫ってみる時間。
対話のなかでもいくつかの示唆を得られたのですが、その後も気になって、頭のなかでぐるぐる対話の続きをしておりました。
みなさんと対話したときは、赤ちゃんやギャップ萌えの例に“できなさ”が愛されることはあるけれど、それを「評価」と呼べるのか? 「評価する」という言葉を「プラスに感じること全て」と広く捉えている人もいたけれど、私はそこまで広く捉えられないなぁ、と思ってました。
が、なぜか夫と家事などしているときに、ふと、「愛とは、“できなさ”をプラスに捉えること」という命題が降ってきまして。
そういう意味では、“できなさ”は(プラスに)評価されうるやん!←イマココです。
ずっと「“できない”ってどういうことか?」「評価するってどういうこと?」を考えていたはずなのに、突然「愛」に関する命題が発見されて、びっくり。
だから、哲学対話はおもしろい。
参加者のなかには、対話中なかなか噛みきれずにモヤっとした方もいらっしゃったかもしれませんが、終わってからも味が出てくるスルメ回でした。