昨日は「おかやま環境ミーティング」にお招きいただきました。
午後の分科会で、「『知ってるのにできない』を語ろう!」の進行を務めました。

人数と参加者層の幅広さ(小学生、中学生、高校生、学校の先生、環境関連の団体、地元企業や財団など)を考慮して、前半は4〜5人のグループで。
いきなり「環境」というテーマに絡めると知識の多い人の発言力が強くなってしまう可能性が高いので、あえて「環境以外の例から」という条件付きで「知っているのにできないのはなぜ?」について語り合ってもらいました。年代や立場の違いを超えて、こちらの予想を超える盛り上がり。グループごとに個性的な議論が展開され、きいてるこちらも大いに刺激を受ける。(昨日は言わなかったけど、いろんなグループの話をきくうちに、「私はやらない言い訳が上手い」ということに気づいてしまいました。)
後半は、グループで出た共通点、相違点、ギモンをシェアしてから...




全員で環境問題「知ってるのにできないのはなぜ?」について、考えました。
「友だちの盲導犬が落ちてるゴミを食べて、死んじゃった」「暑すぎて、今の子どもは夏なのにプールにも入れないことにショックを受けた」など、みなさんの実体験を聞くうちに、自分の「知ってる」の解像度の低さを自覚。「知るってなんだろう?」「知ることの意味ってなんだろう?」という問いが頭の中でぐるぐる。それと並行して、「つい」や「めんどくさい」の根深さから、制度や社会システムの必要性と、心理や社会システムという角度から環境問題を考えることの面白さに気付かされました。
今回、この企画に誘ってくださった林美帆さん(岡山理科大学)が、感想としてこんな言葉をくださいました。
できないことを共有し合うのはケアでもある。ケアの可能性についても思いを深めるひとときでした。
ちなみに林美帆さんは、以前、水島の哲学カフェでお世話になった方です。
今回、特別ケアを重視したわけじゃないけれど、基本的にケアなくして考えることも対話することも難しいと感じているので、うれしいな。
他にも午前の展示ブースやクロージングの場で、以前子どもの哲学に参加してくれた子(いま何年生だろう?)、美咲町や城下の哲学対話でお世話になった方、すろーすのがんカフェに参加してくださった方、などなど、いろんな方との再会と、お会いしてみたかった方との出会いがあり、この会が「ミーティング(meeting)」と呼ばれている理由がよく実感できました。人と会うことによって、いかにエンパワメントされるかということも。
たぶん環境問題については一生素人だろうけど、今後も岡山の一員として関わり続けられたらいいなぁ。
地球規模の話をされるとあまり実感がわかないけれど、岡山の人とつながることで、等身大で考えたり実践したりすることもできる気がしてきたから。