4連休の最終日22日(火)はヨノナカ実習室にて、“対話する哲学教室”でした。
“対話する哲学教室”では、『中学生からの対話する哲学教室』から毎回1つのテーマを取り上げ、前半は、テキストのなかの二人の対話編を読んで対話、後半は哲学者の思想を学んで対話しながらテーマについてじっくり考えます。
以前は大阪でも開催していました。
明石高専の哲学概論でも使っているテキスト。(受講者数が多いので、対話はあまりできません)
けど、やっぱり参加者が変わると反応が全然ちがっておもしろい!
今回は、第1章の「“愛”とはなにか」をめぐって、プラトンの愛と美のイデアに関する思想と、モンテーニュの「“友愛は理由を超えている」説をご紹介したのですが、
夫や子どもへの愛、彼氏への愛、何度も訪れたくなる地域、写真を撮るとき感じる愛などに触れながら、
美しさは視覚的なもの?
条件で結婚相手を決めるのは悪いこと?
“愛する”って言ったことある?という疑問
loveの日本語訳は“大切にする”のほうがいい説
「私のどこが好き?」と聞きたくなっちゃう乙女心
愛と依存のちがい
友達と知り合いのちがい
本能的な愛
少しずつ育まれる愛
愛ってどこにあるんだろう?
などなど。
哲学初体験の方がほとんどでしたが、抽象的な哲学者の言葉がみなさんの経験に肉づけされる瞬間や、哲学者の思想に共感したりツッコミ入れたり、対話を通して思考が変化するのを楽しみました。
わたしはどちらかというとモンテーニュ派だったのですが、みなさんのおかげでモンテーニュの危うさに気づいたのと、なぜ愛について考えるときに美の話が出てくるのか少しだけ理解できた気がして、少しプラトン 寄りになりました。
終了後、「2000年以上昔の人の思想が、いまも議論されてるの!?」と驚きの声も。
そうそう、古代ギリシアの人たちが言ったこと(書いたこと)が、上書きして消されるわけでもなく、いまも残ってたりする。
もちろん、歴史や時代の変化のなかで忘れ去られていく思想もあるけれど、時代を超えて私たちの思考を刺激し続けてくれるタフな思想もある。
ふだんは特別な知識なく対等に話し合える哲学カフェをすることが多いけど、昔の哲学者と対話するみたいに哲学するのも楽しい!と思い出させてくれた感想でした。
ご参加くださったみなさん、ヨノナカ実習室のスミさん、ありがとうございました。
ヨノナカ実習室さんのブログには、参加してくださった方の感想とその日「愛はどこにある?」で注目されたトマトの写真もあります。
次回の哲学教室は11月。
「嘘をつくのはいつも悪いことか」を取り上げる予定です。
(詳細は、イベントページができるまでしばしお待ちを!)