てつがくやさんの気まぐれ日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川えりのブログです。

東アジア臨床哲学会議なるものに、カフェフィロの山本さんと出てみた。

先月末の土日は、大阪大学中之島センターへ。
 
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恩師と先輩にお声がけいただき、東アジア臨床哲学会議なるものに出席してきました。
 
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中国、韓国、日本の哲学者たちが集うなか、カフェフィロメンバーとして、代表の山本さんと共同発表。
カフェフィロが掲げる「社会のなかで生きる哲学」とはどのようなものか、具体例を示しつつ、今回の共通テーマであった「哲学の再定義」を試みる。いや、「哲学の再定義」というより、「哲学すること」の再定義といったほうが正確かもしれません。
哲学カフェや子どもの哲学といったプログラムの前準備(お金のやりくり含む)や合間の交流、哲学カフェをきっかけに生まれた別のなにかに関わることも、自らの哲学が成り立つ条件や可能性の吟味という意味で、「哲学すること」の欠かせない要素であるという見解を示しました。
中国、韓国からは教授、准教授陣が専門的な知見に根ざした緻密な議論を展開されるなか、「私たちの発表、だいぶ毛色がちがうぞ」とドキドキでしたが、私たちのめちゃくちゃリアルな実践の話やその奥にある考えに関心を示してくださる方がたくさん。うれしい。
大学の先生が多いなか、実践者としての役割を無事果たせたかな。
 
私たちの発表を糸口に、あちらの哲学プラクティス事情もちらっとうかがえました。
 
次にお会いしたときはもっと詳しくきけるといいなぁ。
 
しかし、そのためには、英語力をもうちょいなんとかせねば。
実は、人生の早めの段階で「英語の勉強より哲学の勉強を優先したい」という気持ちに抗えず、「日本で一番哲学カフェしてる人になれば、国際的な場では通訳をつけてもらえるのでは?」と目論んでいた私。その目論みの半分は成功し、発表やディスカッションの時間は通訳さん(今回は中国語と日本語の通訳)がいてくれて大変助かりました。谢谢。
しかし、休憩時間や懇親会の交流は、自力でがんばらねばならぬわけで。今回、共通の関心事がさえあれば、どたどしい英語でも楽しめるということを実感できたので、たどたどしいなりに、今回、ボキャブラリーが足りなくて伝えられなかったことは伝えられるようになろうと思いました。
 
 
【おまけ】
山本さんも私も、カフェフィロメンバーであると同時に、その活動の延長線上で個人事業主としてお仕事しているのですが、依頼者の現場やホームグラウンドにうかがう出前スタイルで哲学対話を提供している私とはちがって、山本さんは哲学対話を要にしつつもそこを飛び越えて場づくりにがっつり内側から関わっているというちがいがあります。山本さんと私の性格のちがいもあるだろうけど、その結果としてお金の発生の仕方も構造的にちがうっぽい。ということに、今回の発表では踏み込むことはできませんでしたが、一緒に発表準備を行うなかで、確認できたのもおもしろかったです。