てつがくやさんの気まぐれ日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川えりのブログです。

「人の心はどこにあるのか」@ぬか つくるとこ

4月6日(木)の午後は、ぬか つくるとこへ。

 

自由でアーティスティックな人が多いので、話してるうちに誰もいなくなっちゃう可能性もあるな〜ぐらいの覚悟で行ったのですが、蓋を開けてみれば、思いのほか最後までおつきあいくださる方が多くて、そして、とても哲学度の高い時間になって、びっくりしました。

 

午前のうちにたーっくさん用意してくれてたテーマ候補のなかから、「松川さんが選んでいいよ」と言ってもらったけれど、魅力的なテーマが多すぎて目移りして絞りきれず。
いくつかに絞ったなかから、みなさんに投票していただいた結果「人の心はどこにあるのか」に。

 

対話がはじまってすぐ、このテーマの素晴らしさに気づかされました。

「どこにあるのか」の答えを、言葉だけでなく、身振り手振りで「ここ」って教えてもらえる。言葉で説明するのが得意ではない人にも、参加してもらいやすい。

 

頭(脳)、胸、お腹、手のひら、全身全細胞、歌のなか‥‥‥

「中古車には前に乗っていた人の念が残ってそう」、隣に座っている人を指して「この人」と答える人も。

 

そうか、自分の心は自分のなかのどこかにあると思い込んでいたけれど、そうとも限らないのか。

そんなふうに気づかされて、さらにきいてみる。

「心がある」ってどういうことだろう? 「ここに心がある」って感じるとき、何が起こっているんだろう?

 

「心って自分のなかにあるというより、感情の働きだから、人と人、人とモノのあいだにあるのでは?」

「意志と記憶。そこに心がある。」

「幽霊とか生き霊とか、自分の意志じゃない念が心だと思う。」

 

みんなの多種多様な説にじっくり耳を傾けたあと、こんなふうに筆談で発言してくれる人も。

2023.4.6. 戸田さんの発言@ぬか つくるとこ

 

それに刺激されて、また疑問が浮かんでくる。

共通の心って、どんなだろう? 

体験はそれぞれちがうのに、言葉が通じるのは共通の心があるから?

感情、思考、意思、記憶、念、思いやり、憎しみ、言葉、意味、体験、共通認識…。

私たちは何を共有できて、何を共有できないんだろう?

 

そんな問いが新たに浮かんだところで、時間切れ。

でも、心に関する問いから、こんな問いにたどり着くなんて。

 

これが正解!って言えるわけじゃないけれど、思考は進んでないわけじゃない。

見える景色が変わる。見えなかったものが見えてくる。

メルロ=ポンティの言葉どおりの時間になったなぁ。

 

哲学とは、己れ自身の端緒がつねに更新されてゆく経験である(メルロ=ポンティ『知覚の現象学』序文より)

 

 

「念」説、「意志と記憶」説、「あいだ」説、「言葉と心」論を展開した4人が大活躍して、他のみなさんもそれにちょこっと絡んだり、じっと耳を傾けたりしてくれました。

その合間合間で、リスニング力のない私を助けてくださる方がいる。

 

ぬかを訪れると、いつも、人の存在の愛おしさというものをしみじみと感じます。

人間としての大事な感覚が回復する気がする。

 

ご参加、おつき合いくださったみなさん、ありがとうございました。

 

 

お土産にいただいた『そのうち月刊 ヌー』も最高でした。

『そのうち月刊 ヌー』創刊号

「そのうち月刊」とか「なんでそんなんプロジェクト」とか「市田文化人類学」とか、このセンスが好きすぎる。2号も楽しみです。

 

 

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