昨日3月5日(日)は、こちらの絵本でオンラインえほん哲学カフェでした。
子どものみんなは、どんな大人のなかにも、子どもがいるって知ってるかな? 大人たちは、いそがしくって、もうくたくただってふりをして、なかにいる子どもをかくそうとするんだ。でも、そんなことはできっこない。ときどき大人のなかの子どもたちは、遊びたくって外に飛び出しちゃうんだよ!(絵本紹介より)
絵本を購入したのはだいぶ前だったのですが、ちょうど絵本選びをしているとき、毎日小学生新聞で「どうして大人になっていくの? 子どものままでもいいのに」という小学3年生からの問いについて考えている最中で、改めてこの絵本について他の人の感想をきいてみたいな、と。
以下、ネタバレご容赦を。
素直に読むと、絵本紹介の文章から推測できるように「自分のなかの子どもの部分(心?)を大事にしようね」という内容の絵本。そこから
- 大人のなかの子どもってどういうこと?
- そもそも大人って?子どもって?
といった問いについて考えられる。
それだけでも哲学対話の素材としては十分なのですが、私がこの絵本を取り上げたいと思ったのには、もうちょっと細かい描写が関わってまして‥‥‥よーく読むと、なんかちょこちょこひっかるところがあるんですよ。この絵本。
たとえば、対話のなかで参加された方も指摘してくださった、この箇所。
おおきく なっても
きみのなかには まだ
こどものきみが いる
だから つらいきぶんに
なることもある
「大人のなかに子どもがいるから、辛い気分になる」って言ってるけど、大人が大人のまま辛い気分になることはないの? 大人だって大人のまま辛い気分になっていいんじゃないの?
そんな疑問がわいてくる。
それから、こちらも。
おとなたちは いそがしくって
もう くたくただって ふりをして
じぶんの なかにいる こどもを
かくして いるんだよ
たしかに、そういう側面はある。
けど、なぜ大人たちは忙しくってくたくただってふりをするんだろう?
大人だって、そんなふりをせず、子どもと同じように遊びたい気持ちやおもちゃがほしいって気持ちをストレートに表しちゃいけないの?
そんなことを考えていると、ふと、小学生新聞に寄せられたあの問い、そして問いに添えられたつぶやきのようなあの言葉が、私の頭のなかをぐるぐる回り出すわけです。
どうして大人になっていくの? 子どものままでもいいのに。
小学生新聞のほうは、自分なりに考えて「大人になれば、自分で自分の責任がとれるとみなされて、自分の判断でもっと自由に動ける」と回答してみたけれど、それでもやっぱりこの絵本を通して、「大人ってなんだろう?」「子どもってなんだろう?」と考えてみたいと思ったのは、そんな理由からでした。
長くなりそうなので、いったんここで区切ります。
(最近、なかなかブログを書く余裕がないのだけど、書きたい欲はけっこうあって、書き出すと長くなりがち)