だいぶ遅くなりました。
こちらの続きです。
以下、ネタバレ(?)ご容赦を。
さぁ、おとなのなかにこどもがいるって、どういうことでしょう?
ある参加者が言いました。
この絵本を読むまで、ぼくは「おとな」や「こども」を時間的に捉えていたことに気づいた。けど、ここで描かれている「おとな」と「こども」はちがう。おとなの面とこどもの面、おとなの部分とこどもの部分、おとなの心とこどもの心‥‥‥うーん、なんて言えばいいんだろう?(参加者のことば。ただし松川の曖昧な記憶による)
たしかに、「おとな」や「こども」は時間軸で区切られることも多い。
「何歳まではこども、何歳からはおとな」とか「こどもの頃」「小学生時代」というふうに。
けど、この絵本のなかの「おとな」「こども」はちがう。
ひとりのなかに、おとなとこどもが同時に存在している。
だけど、つらい気持ちになったり泣き出したくなっちゃうのは、おとなの私のなかにこどもの私がいるからだとしたら、おとなの私ってどんな存在なんだろう?
おとなの私のなかにこどもの私がいるのと、こどもの私しかいないのと、何がちがうの?
そんな疑問が、むくむくむくむく。
おとなの私はつらい気持ちになったり、泣き出したくなっちゃいけないの?
だとしたら、おとなの私がかわいそうじゃない?
そんなふうに、もやもやもやもや。
疑問ともやもやを抱えながら、みなさんの話に耳を傾けていたのですが、対話が終わる頃、私のなかに1つの答えに浮かんできました。
こどものままでいるより、おとなの私がわんわん泣くより、こどもの私と共存するおとなの私もいたほうがいい。そう思える理由が。
どういうふうにその答えに辿り着いたのかは、説明するのが難しいのですが‥‥‥
- 「泣くな」と言われてそだったという方の語り
- つらい気持ちを表現する方法は泣く以外にもあるという指摘
- 成長過程で人は気持ちを表現し伝える方法を身につけることができること
- 気持ちを押し殺すのでもなく、泣き喚いて気持ちを巻き散らかすのともちがう生き方があるということ
- 絵本のなかには、こどもたちがおとなから飛び出したりはみ出してるページもあるけれど、おとなたちが自分のなかのこどもと動きを合わせて怒りや喜びを表現しているように見える描写もあること
いろんな方の言葉や発見が重なって‥‥‥
ああ、そうか。
つらいときや悲しいときに泣くしかできない赤ちゃんのままでいるより、そうした感受性をキープしたまま、言葉や様々な表現方法をもったおとなになるって、悪くない。
気持ちを押し殺すのではなく、自分のなかにあるいろんな気持ちを相手に届くように表現できる、そういう人が「たのしいおとな」なのかもしれない。そういう人になりたいな。
‥‥‥なんて結論に至ったのでした。
この絵本、今回は大人と読みたくて大人のみなさんと読んでみたけれど、こうしてやってみると、こどものみなさんとも読んでみたくなる。
素直に読むと「おとなのなかにもこども、いるいる」で終わるけど、ツッコミながら読むと「おとななかのこどもって?」「おとなになるってどういうこと?」について、まだまだ様々な発見が出てきそうな一冊です。
登場人物の表情も豊かだし、本の見返しも眺めているといろんなイメージがわいてくるので、もし「おもしろそうだな」手に取ってみてください。
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