先日、神戸を訪れた際、ついでに兵庫県立美術館でやってる特別展「ミニマル/コンセプチュアル展」を観てきました。
ミニマル・アートは、主に1960年代のアメリカで展開した美術の潮流です。作家の手仕事やその痕跡を廃し、工業用素材や既製品を用いて、単純で幾何学的な形やその反復から成る作品を制作しました。ミニマル・アートに続いて現れ、同時代に国際的な広がりを見せたコンセプチュアル・アートは、物質的な制作物以上に、その元となるコンセプトやアイデアを重視します。(兵庫県立美術館 ミニマル/コンセプチュアル:ドロテ&コンラート・フィッシャーと1960-70年代美術)
観る前は、「ミニマル」と「コンセプチュアル」がどうしてセットになるのかと疑問でしたが、観ているうちに、「そうか、ミニマルを追求するとコンセプチュアルになったり、コンセプチュアルであろうとするとミニマルになったりするのね」と納得。
哲学でも概念化(コンセプチュアライズ)は大事な要素なので、そういう視点からも興味深く。
たとえば哲学ウォークでも、コンセプトを作ることが要求されたり、「質問は短く」なんて言われたりする。
これも、単にワークの作業としてそうなっているのではなく、なにかしらの本質や核のようなものを掬い取ろうとする行為の現れなのだと思う。
言葉だと言葉するという行為自体に概念化が含まれてくるけれど、アートだとどうなるのか。
立方体が並んでいたり、
数字が並んでいたり、
毎日起きた時間をはがきで送ったり、
作者(?)は指示を出すだけで制作は他の人がやったり、
作品を観ていると、「アート」や「作者」「作品」といった概念の淵に立たされるような気分でした。