松川えりのてつがく日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川えりのブログです。

「変えたほうがいいのはどんなとき?」@高島公民館

今日は岡山市立高島公民館の哲学カフェ、ふたばトークでした。

テーマは「変えたほうがいいのはどんなとき?」。

 

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「新しい生活様式」についても考えられるテーマをということでこれにしてみましたが、蓋を開けてみるとそっちの話はそれほど盛り上がらず。

地域や学校、PTAなどでの体験談がたくさん出てきました。

 

まず前半、意外だったのが、周囲に合わせるか否かの話をされる方がけっこういたこと。

なぜ今回のテーマで、周囲に合わせる/合わせないの話が出てくるのか?

変える/変わるということとどう関わるのか?

見えそうで見えない、興味深くも、もどかしい展開。

 

換気休憩を5分ほどとった後、ガラケーからスマホへの変更談もヒントにしながら30〜40分して見えてきたのは…

「変えたほうがいいのはどんなとき?」と「変わるのはどんなとき?」のズレでした。

 

①変えたくないから、変わらない

②変えたくないけど、仕方なく変わる

③特に変えるつもりはなかったけど、周囲に感化されて変わる

④変えたほうがいいから、変えてくれる(坂本龍馬のような)人を待つ

⑤変えたほうがいいから、自分で変える

 

①と⑤だけならシンプルだけど、実際はそれだけじゃない。

 

地域や学校などのあるべき姿や時代の変化を考えると変えたほうがいいこともあるけれど、一方で、変わることにはコストやエネルギーがかかることも多い。

また、これは終盤にお祭り縮小の例から出てきたポイントですが、変わることをさみしいと感じる人もいる。

 

だから「お膳立て」がないと変わるのが難しかったり、「仕方なく」じゃなきゃ変りたくなかったりするのかな。

 

自分が変わるのもエネルギーがいるけど、他者を変えるのは一層難しい。

組織を変えるのはさらに大変で、「変わらないなら出ていきます」というぐらいの覚悟がないと無理かもしれない。

実際に変わらない組織にいるのが苦しければ、そこから自分が出ていくという選択もありじゃないか。

…なんて話も。

今回は明示的な問いとしてあがらなかったけれど、このあたりは「変える」と「変わる」のちがいにも関わる考察だったのかもしれません。

 

変えたほうがラクできるなら変えていきたい派の私にとっては、変えることの大変さを学ばせていただく対話でした。

前から個人的に関心のあった「伝統はどこまで守るべき?」問題についてもヒントをいただけました。

 

ご参加くださったみなさん、高島公民館のみなさん、ありがとうございました。

 

次回は、今回もちらりと出た「責任をとるってどういうこと?」について考える予定です。