てつがくやさんの気まぐれ日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川えりのブログです。

『フォックスさんのにわ』@スロウな本屋

時を少し遡りまして‥‥‥

先月末10月31日(土)は、スロウな本屋さん主催のえほん哲学カフェ。

オンラインで『フォックスさんのにわ』をみなさんと読みました。 

 

 

フォックスさんと犬は離れたことがない。いっしょに遊び、おやつを食べ、同じ音楽を楽しんで、冒険にも出かける。とりわけ好きなのは、いっしょに庭仕事をすること。でもある日、思いもしない悲しいことが起きて…。

フォックスさんは庭をめちゃくちゃにたたきこわしてしまった。豊かな土地はそれでも何かを育まずにはいない。喪失、再生、癒し、そして自然の力を描く、こころ打つ絵本。2019年コールデコット賞オナーブック(次点作)。

 

スロウな本屋のオンラインショップの絵本紹介より)

 

以下、ネタバレご容赦を‥‥‥

 

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対話の地図の描きかた with グリーングラス

本日11月4日(水)は神戸の鈴蘭台へ。
学生時代からお世話になっている〈グリーングラス〉さん主催で、対話セミナー「対話の地図の描きかた」を開催。
レクチャーのあと、「思考の交差点を探すワーク」を楽しみました。
 
お題は「牢屋のなかでも自由でいられる?」。
5つの答えのなかから、それぞれ1つ選び、お互いの共通点と相違点を探していくのですが、なぜか2つの答えに人気が集中。
「うん、だって想像したり夢みたり、そういうのは自由だもん」と、
「いられる。自分の運命を受け入れて、希望を持ち続けられるなら」と。
 
同じ答えを選んだ人と「自由」の定義がちがったり、
かと思えば異なる答えを選んだ人と「自由」定義が同じだったり、
「運命」や「希望」を重視する人、全然重視しないしない人。
「牢屋」と聞いて具体的な牢屋を思い浮かべた人、「人生」や「結婚」を思い浮かべた人。
「難しい」という声もありながら、楽しんでいただけてよかった。
 
久しぶりにお馴染みの面々にお会いできて、なにやらほっとしました。
 
ちょっと遠出をしたので、マイルールにより、週末までは自宅で引きこもりライフを楽しみます。
 
 
※今回のお題の出典はこちら。
自由って、なに?[新版] (こども哲学)

自由って、なに?[新版] (こども哲学)

 

 

 

※高校でも、同じネタやってます。

matsukawaeri.hatenablog.com

 

「後悔したくないのはなぜ?」@高島公民館

10月29日(木)は、岡山市立高島公民館で哲学カフェでした。

2月以来の開催で、再開を待ちに待っていたという方々が10名ほどがご参加くださいました。

 

コロナウィルスの感染拡大予防のため飲み物やおやつを出せないので、講座名も「ふたばカフェ」から「ふたばトーク」に改名。

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換気とソーシャルディスタンス確保のために、2部屋つなげてスペースを倍確保するなど、担当の方があれこれ配慮してくださいました。感謝。

 

テーマは、3月に予定されていて流れてしまった「後悔したくないのはなぜ?」。

テーマを考える企画会議がほぼ1年前の昨年11月だったので、なぜこのテーマになったのかすっかり忘れてしまっていたのですが、提案してくださった方がちゃんと覚えていてくださいました。

昨年11月の「なぜ買ってしまうのか?」からの派生テーマで、「買って後悔」「買わないで後悔」の話がでてきたところから思いついたそうです。

そうだそうだ、そんな話してた!

 

matsukawaeri.hatenablog.com

 

 

その日哲学カフェに持参した飲み物の選択で感じた後悔、対人関係の後悔、お子さんの進路の選択に関する悩み、「家族にビデオを上書きされてしまった」などなどの例が出るなか、前半は「後悔って必ずしもマイナスのことではないのでは?」という話から、「後悔と反省はどうちがう?」に注目が集まります。

「反省はポジティブだけど、後悔はネガティブな印象」

「心の重みがちがう気がする」

「反省は次に活かせる場合に、後悔はとりかえしがつかないときにするもの」

「反省は、点検、検証。マイナス面だけじゃなくプラス面も明らかにすること」

「反省は行為。後悔は心の問題」

などなどの仮説がでてきてあれこれ話すうちに、それぞれの仮説の是非というより、仮説同士の連関についてが明らかになってきました。

 

前半のうちに、反省との比較から「後悔するって何?」について明らかになってきたからでしょうか。

後半は議論の重心が徐々に、「後悔したくない」という気持ちや「後悔したくないのはなぜ?」という問いそのものに移っていったように思います。

 

行為の後に後悔することと、行為の前に「後悔したくない」と思うことのちがいは?

「後悔したくない」のはどんなとき?

なぜ「後悔したくないのはなぜ?」であって「失敗したくないのはなぜ?」ではないのか?

「後悔したくない」とよく思う人とあまり思わない人のちがいは?

 

いろんな話が出ましたが、ハイライトシーンを1つあげるとしたら、後悔と失敗の関係に関する議論から、2つの「失敗」の捉え方が明らかになったシーンでしょうか。

「失敗したかどうかと後悔するかどうかは関係ない」という人と、「後悔には必ず失敗が関わっている」という人と。

最初は全く異なる考え方のように感じたのですが、よくよく聞いてみると、

「何かをやった結果うまくいかなかったことを後悔するより、『本当はしたかったことをしなかった』ことを後悔することが多い」という点では一致してそう。

そこから、「失敗したかどうかと後悔するかどうかは関係ない」という人は、「やったけれどうまくいかなかった」という結果を「失敗」と捉えている。

その一方で、「後悔には必ず失敗が関わっている」という人は、「やったけれどうまくいかなかった」という結果だけでなく「本当はしたいけどしなかった」ことも含めて「失敗」と捉えていることが判明しました。

 

「後悔」について一生懸命考えていたのに突然「失敗」についての発見降ってくる予想外さと、二人の違いがなかなか見えなくて森に迷い込んだような状態から突然パッと視野が拓けたような爽快さと。

その2つが相まって、おもしろかったなぁ。

ライブならではの、楽しさだ。

 

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次回のテーマは、「新しい生活様式」にからめて、「変えたほうがいいのはどんなとき?」の予定です。

岡山市内はそうでもないのですが、岡山県内ではクラスターがいくつか生じて感染者が急激に増えている状態。

公民館は地域の方のための教育施設ということもあり、私から開催日時などをお伝えするのは控えさせていただこうと思います。(上記のチラシの日にちも、あえて加工で消してあります。)

参加をご希望の方は、地域の公民館便りなどをご参照いただければ幸いです。