てつがくやさんの気まぐれ日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川えりのブログです。

「雑談って必要?」@フリーデザイン岡山

昨日は、フリーデザイン岡山にて、コミュニケーション・カフェ!

と思って行ったら、 いつになく大盛況でソーシャルディスタンスどころじゃなかった!

急遽スタッフの方が、近所の奉還町りぶらという施設の部屋を借りてくれて、みんなで大移動。

 

お題は、「雑談って必要?」。

もともとは、先月の哲学カフェのテーマ候補としてあがったもの。

提案してくださった方は「雑談が苦手なら、しなくてもよくない?」とシンプルに疑問に思って提案してくださったそうですが、「雑談が苦手」という話はコミュニケーション・カフェでもちょいちょい聞くからちょうどいいやと思って、コミュニティボールをつかってハワイのp4c風に対話してみました。

 

哲学カフェじゃないし、盛り上がらなかったときのために、念のため雑談の本を何冊か読んで資料とワークも用意していたのですが、まったくの杞憂でした。

「雑談は必要!」という人も、「必要ない」という人も、「必要か必要じゃないかは不明だけどあるといい」という人も、「必要な人には必要だけど自分には必要ない」という人も、「好きだけど、苦手」という人も、それぞれの理由や雑談の捉え方もいろいろで、あっという間の1時間半。

 

ちょこっと内容をご紹介すると‥‥‥

  • いつ誰に助けてもらうことになるかわからないから、関係づくりとして大事。
  • せっかく話せる口があるんだから、話したい!
  • 話したい人とはしたいけど、話したくない人ともしなきゃいけないとなるとイヤだ。
  • 人それぞれ役割があって、雑談で盛り上げる人もいれば、そっと見守る人もいる。
  • 「話す」以外に、お菓子を分けるなど雑談的な効果をもつ行為もある。
  • 自分はここにいることを認めてもらえる。コミュニケーションが生きる力になる。
  • そもそも雑談とは、記憶に残らないたわいのない話のことだから、「しなきゃいけない」のもおかしい。
  • 雑談しない人はどうやって友だちをつくるの?→そもそも友だちって必要?

‥‥‥などなど。

 

それぞれが共感するところ、「そんな考え方があったのか!」と驚くところ、いろいろあって、事前に読んでいった本より、ずっと豊かな雑談談義が繰り広げられました。

 

といいつつ、みなさんの対話のなかと重なる点もありつつ、職場での雑談のメリットという別の視点も兼ね備えた、こちらの本を最後にご紹介。

 

 

人との距離感がつかむのが苦手な方、親しい人にはわーっと話せるけどそうじゃない人との会話が苦手な方、「うまい雑談」というより「最低限の雑談力」を身につけたい方ににおすすめです。

 

この本のなかにのってる、「会話のきっかけレシピ」をつくるワークがおもしろそうなので、これもまたいつかコミュニケーションカフェでやってみたいな。

「理想と現実」@大元公民館

昨日10月19日(月)は、大元公民館にて“子育てモヤっとニコッとカフェ”でした。

テーマは、前回の対話のなかからでてきた「理想と現実」。

 

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まず、前回(「期待が重荷になるのはどんなとき?」)このテーマを提案してくださった方より、この1ヶ月のあいだの劇的な変化について報告が!

「前はがんばって毎日あれをしてこれをしてって予定を立ててたけれど、

試しに予定を立てずに子どもの気の向くままに任せて一緒に遊んでみたら、

子どもも私ものびのびりして、とてもいい感じなんです」

たしかに、心なしか前回より表情も明るくリラックスした感じ!

 

そもそも、前回参加しようと思ったのも、何かを変えたい気持ちがあったからということですが、この子育てカフェでの対話が、こんなふうに実際に何かを変えるきっかけの1つになるって、うれしいな。

話すだけでも楽しいけれど、その内容が机上の空論じゃないって、暮らしにおいても、真理を探究する哲学にとっても、すごく大事。大事にしたい。

 

その後の展開は、

先ほどの報告や習い事の選択などに親の好みや理想が反映されちゃうという話題から、

「お母さん」というイメージ(=理想?)の影響、

親の理想と子どものあいだ、あるいは妻と夫のあいだの理想のズレ、

そのズレにどうやって気づけるか?、

なんの理想をもたないってことってできる?、などなど。

 

さらに、話題は広がって、

ある人にとっての「普通」が、別の誰かにとっては実現困難な「理想」になってしまう問題、

「迷惑かけちゃダメ」は理想?問題からの、「迷惑」をめぐるあれこれ。

 

‥‥‥というように、理想と現実のギャップだけじゃなく、理想と理想のギャップ、理想と普通のややこしい関係についても考えさせられる内容でした。

 

赤ちゃん連れの方がピクニックシートを持ってきてくださったので、長机+椅子席とピクニックシート席とで、ソーシャルディスタンスをとりつつ和気藹々とした雰囲気のなかで対話することができました。

 

来月は、「いい夫婦って?」について話し合う予定です。

「日常って、何?」@antenna Coffee House

10月11日は尾道のantennaさんで、久しぶりのプレーンな哲学カフェでした。

テーマは、「日常って、何?」。

 

 

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久しぶりにお会いする方とコロナの話題を避けるのも不自然かなぁ、

でもそればかりになるのもね、とマスターが提案してくれました。

「日常」って、学生時代に哲学書を読んで考えることはあったけど‥‥‥

 

これだけ哲学カフェをやってるのに、哲学カフェのテーマとしては未体験で、とても楽しみにしてました。

実際、みなさんと対話してみると、予想以上に、いろんな体験や例がでてきて味わい深い!

 

田舎の日常と都会の日常。

コーヒーフロートのワクワクする非日常感と、

道に迷ったときのハラハラする非日常感。

旅先で誰かの日常に紛れ込んだときの不思議な感じ。

受験や就職活動といった、自分が望む日常を得るための非日常。

「これを日常だとは思いたくない、日常にしたくはない」という想い。

職種によっては、毎日が非日常?

哲学カフェは非日常?

マスクはそろそろ日常?etc...

 

テーマとなった「日常って何?」の答えに関しては、

「慣れたら日常」「意識されないのが日常」など、いくつかの仮説が出たものの、

全員が「それだ!」という感じには、なかなかならず。

日常の多様性を実感。

 

でも、そのプロセスのなかで出てきた2つの気づきについては、全員が共有できたかもしれません。

  1. どんなに慣れようとしても「居心地が悪い日常もある」ということ。
  2. 人生のなかに「日常を選択する」という場面がありうること。

 はっきり確認したわけではないけれど、これが今回の対話の交差点だったんじゃないかなぁ。

参加者6名+マスター+進行役という全員の顔が確認できる対話のなかで、この2点に触れてるときは、なんとなく、全員で接木しながら思考が進んでいくような手応えがありました。

対話のなかで最初に出てきたのは2の「日常を選択する」例だったけど、後半に1の「居心地が悪い日常もある」という指摘が出てきたあと、より一層2の重要性がわかるというか。

 

わたしにとっても、どちらも言われてみたらそのとおりだと思うけど、言われてみるまではっきり認識してなかった事柄だったので、気づけてよかった。

 

ご参加くださったみなさん、マスター、ありがとうございました。

 

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次回の哲学カフェ尾道は、哲学ウォーク&カフェです。

アランの『幸福論』の言葉が書かれた紙片をこちらで用意しますので、その言葉にぴったりの場所を探して尾道のまちを歩きましょう♪

手ぶらでご参加OKですが、参加される方は歩きやすい格好(特に靴)でお願いします。

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