てつがくやさんの気まぐれ日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川えりのブログです。

「後悔したくないのはなぜ?」@高島公民館

10月29日(木)は、岡山市立高島公民館で哲学カフェでした。

2月以来の開催で、再開を待ちに待っていたという方々が10名ほどがご参加くださいました。

 

コロナウィルスの感染拡大予防のため飲み物やおやつを出せないので、講座名も「ふたばカフェ」から「ふたばトーク」に改名。

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換気とソーシャルディスタンス確保のために、2部屋つなげてスペースを倍確保するなど、担当の方があれこれ配慮してくださいました。感謝。

 

テーマは、3月に予定されていて流れてしまった「後悔したくないのはなぜ?」。

テーマを考える企画会議がほぼ1年前の昨年11月だったので、なぜこのテーマになったのかすっかり忘れてしまっていたのですが、提案してくださった方がちゃんと覚えていてくださいました。

昨年11月の「なぜ買ってしまうのか?」からの派生テーマで、「買って後悔」「買わないで後悔」の話がでてきたところから思いついたそうです。

そうだそうだ、そんな話してた!

 

matsukawaeri.hatenablog.com

 

 

その日哲学カフェに持参した飲み物の選択で感じた後悔、対人関係の後悔、お子さんの進路の選択に関する悩み、「家族にビデオを上書きされてしまった」などなどの例が出るなか、前半は「後悔って必ずしもマイナスのことではないのでは?」という話から、「後悔と反省はどうちがう?」に注目が集まります。

「反省はポジティブだけど、後悔はネガティブな印象」

「心の重みがちがう気がする」

「反省は次に活かせる場合に、後悔はとりかえしがつかないときにするもの」

「反省は、点検、検証。マイナス面だけじゃなくプラス面も明らかにすること」

「反省は行為。後悔は心の問題」

などなどの仮説がでてきてあれこれ話すうちに、それぞれの仮説の是非というより、仮説同士の連関についてが明らかになってきました。

 

前半のうちに、反省との比較から「後悔するって何?」について明らかになってきたからでしょうか。

後半は議論の重心が徐々に、「後悔したくない」という気持ちや「後悔したくないのはなぜ?」という問いそのものに移っていったように思います。

 

行為の後に後悔することと、行為の前に「後悔したくない」と思うことのちがいは?

「後悔したくない」のはどんなとき?

なぜ「後悔したくないのはなぜ?」であって「失敗したくないのはなぜ?」ではないのか?

「後悔したくない」とよく思う人とあまり思わない人のちがいは?

 

いろんな話が出ましたが、ハイライトシーンを1つあげるとしたら、後悔と失敗の関係に関する議論から、2つの「失敗」の捉え方が明らかになったシーンでしょうか。

「失敗したかどうかと後悔するかどうかは関係ない」という人と、「後悔には必ず失敗が関わっている」という人と。

最初は全く異なる考え方のように感じたのですが、よくよく聞いてみると、

「何かをやった結果うまくいかなかったことを後悔するより、『本当はしたかったことをしなかった』ことを後悔することが多い」という点では一致してそう。

そこから、「失敗したかどうかと後悔するかどうかは関係ない」という人は、「やったけれどうまくいかなかった」という結果を「失敗」と捉えている。

その一方で、「後悔には必ず失敗が関わっている」という人は、「やったけれどうまくいかなかった」という結果だけでなく「本当はしたいけどしなかった」ことも含めて「失敗」と捉えていることが判明しました。

 

「後悔」について一生懸命考えていたのに突然「失敗」についての発見降ってくる予想外さと、二人の違いがなかなか見えなくて森に迷い込んだような状態から突然パッと視野が拓けたような爽快さと。

その2つが相まって、おもしろかったなぁ。

ライブならではの、楽しさだ。

 

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次回のテーマは、「新しい生活様式」にからめて、「変えたほうがいいのはどんなとき?」の予定です。

岡山市内はそうでもないのですが、岡山県内ではクラスターがいくつか生じて感染者が急激に増えている状態。

公民館は地域の方のための教育施設ということもあり、私から開催日時などをお伝えするのは控えさせていただこうと思います。(上記のチラシの日にちも、あえて加工で消してあります。)

参加をご希望の方は、地域の公民館便りなどをご参照いただければ幸いです。