まつかわえりのてつがく日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川絵里のブログです。

富良野塾起草文@antenna Coffee House

お盆休みはゆっくり‥‥‥と思ったら、おうちの用事で予想外にバタバタ過ごしてしまいました。

 

8月12日(日)の哲学カフェ尾道は、年に1度あるかどうかの文学篇、第2弾。

 

哲学カフェ尾道・文学篇 第2弾 『富良野塾起草文』(倉本聰)

 

マスターが「ぜひ、これで」と提案してくださったのが、こちら。

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富良野塾起草文(倉本聰

 

 

前にも書いたとおり、企画したときは、まさか西日本豪雨が起こるとは‥‥‥。

尾道(けっこう長い断水でしたね)の人はもちろん、大きな被害のあった真備や三原から駆けつけてくださった方も‥‥‥。

真備で浸水、断水、停電などを経験された方の「ほんっとーに麻痺していました」という言葉から、対話が始まりました。

 

とはいえ、そのご経験をうまく伝えることはできないので、特に複数の意見が出て盛り上がった箇所の、論点だけをふりかえります。

 

1)あなたは文明に麻痺していませんか

ここでの問題の一つは「文明って何?」。

ここで作者の倉本聰さんが想定しているのは、車や石油など現代文明だろうという一方で、そうすると、現代文明だけを文明とみなしていいの?その前の文明には麻痺してていいの?程度の問題?という疑問。

 

さらに「麻痺する」ってどういう状態?という疑問も。

慣れて感動を忘れている状態が「麻痺している」状態?

でも、いちいち感動していたら生活できなくない?などなど。

 

2)理屈と行動はどっちが大事ですか

この論点は、人生のあれこれについて考えられますが、災害直後ということもあり、ボランティアに関するやりとりが印象に残っています。

今回の災害で「気づいたら体が動いていた」という人もいれば、何も考えず動けば善意も迷惑になりうることも。

また、以前は熱心にボランティア活動をしていたという人から、社会に本当に必要なことならば、何も考えず無償で行動するだけでなく、有償でまわしていく仕組みを考えたほうがよいのでは、という思いも。(たしかに、必要なものを安定して供給するには、一度立ち止まって考える必要はあるよなぁ。哲学哲学だってボランティアでできることには限界があるし‥‥‥なんて思ったりしました。)

 

あと、「理屈と行動」だけにかかわらず、「石油と水」、「車と足」など、ここで対比されているものは、前者を批判しているわけではなく、後者の価値を忘れていませんか?と思い起こさせる言葉なんじゃないかという指摘も。

 

さらに、おそらくですが、この論点とどこかで交わりそうなのが、序盤で出た「本を読むのが好きだけど、災害を目の当たりにして、本や言葉から感じ取れることって、実際の体験の100分の1ぐらいじゃないかと思った」という声。

文学篇で、文学の存在意義そのものが問われるような発言が出てきたのが、おもしろかった!

 

3)我が世の春を謳歌していませんか

「2行前の『あなたは感動を忘れていませんか』と矛盾するのでは?」という人と、「謳歌することと、感動することは異なるので矛盾しない」という人。

謳歌する」とは一体どういうことなのか、感動なくして謳歌することはできないのか、麻痺して文明にあぐらをかいていることなのか、考えを巡らせました。

 

実際の対話は、これら3つの論点と他にもあれこれ行きつ戻りつしながらの展開でした。

 

 

その他、これは最後のおまけみたいな感じでしたが、わたしの「ちょっと説教くさい」という第一印象について、マスターの「説教くさく感じるとしたら、『あなたは〜』という人称のせいではないか。」という指摘も、なるほどと思いました。

たしかに、「私たちは〜」だとずいぶん印象が変わりそう‥‥‥。

作者の倉本聰さんがあえて「あなたは〜」にしたのかどうか気になるところですが‥‥‥

 

わたしの「説教くさい」という印象は、この富良野塾がどんな塾だったかきいて、みなさんとじっくり考えてみたことによって、だいぶ薄れました。

この富良野塾、脚本家である倉本聰さんがシナリオライターや俳優を要請するためにつくった私塾らしいのですが、そこでは(と言っていいのかどうか)森のなかで丸太組んでログハウスをつくったりと、本当に文明から距離を置いた生活をしていたそう。

TVドラマの脚本を書いていた人が、そういう環境で後進を育てたというのは不思議な感じがしますが‥‥‥だからこそ、なのかなぁ。

頭で考えるだけじゃなく、行動して、体験して、感じることを忘れるなよ、っていうのは。

 

今回は、この起草文をあえて「詩」のように味わってみようという試みでしたが、やっぱりそこは詩としてつくられたものとはちがう気もします。

ちゃんと背景や宛先があってこその「あなたは〜」なのかな、とも感じました。

こちらのブログにあるように、石に掘られたものを現場で読むと、さらにそのことを実感できそうです。)

 

でも、それでも、山陽に住むわたしたちにとって、このタイミングで、この言葉に出会い、向き合い、じっくり語り合えたのは、偶然だけど、とても意義深いことのように感じています。

ご参加くださったみなさん、ありがとうございました。

 

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2018.8.12@antenna Coffee House

 

こうした言葉との出会いも運命!?

‥‥‥と言っていいのかどうかわかりませんが‥‥‥

次回の哲学カフェ尾道(10月14日)では、「運命」について考えます。

 

 

哲学カフェ尾道 第15回【 運命を変えることはできるのか? 】

 

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