バタバタしていて、少し間が空いてしまいました。
私のもとに花粉症が到来した翌日の3月3日(土)、スロウな本屋さんにて、えほん哲学カフェを行いました。
今回の一冊は、スロウな本屋の店主に教えてもらって前から気になっていたこちら。
以下、ネタバレ注意です。
なんと、アニメ作品から生まれた絵本なんですね。
えほん哲学カフェの参加者のなかに、おひとりアニメを観たことがあるという方がいらっしゃり、「アニメは暗い印象だったけど、絵本は明るくてびっくりした」と教えてくださいました。
海の水があがってくるたびに、引越しもせず、まるで積み木のように上へ上へと家を建て増して暮らしているおじいさんの話。ある日、大工道具を下の家に落としてしまい、取りに潜っていくと、そこには、おばあさんが亡くなった家、娘さんがお嫁に行った時に住んでいた家、息子さんが生まれたときに住んでいた家‥‥‥。
思いっきりフィクションでありながら、
「気温があがって海水があがってくる、環境問題が背景にあるのかな?」
「転勤族だったから、住んでいた家を思い出すとそこに住んでいた頃のことを思い出すって、わかる」
「限界集落に住んでいる高齢者のことを思い出した。よその人から見たら不便で『なんでそんなところに住み続けるんだろう?』と思うけど、やっぱり何か意味や理由あがるんじゃないかな」
「記憶をたどるって、こんなふうに水を潜っていくような感じに似てる。現在に近い浅い頃は明るくはっきり見えるけど、遠く深い記憶は暗かったりぼやけてたり」
などなど、みなさんが、この絵本で描かれていることを、とてもリアルに感じていたのが印象的でした。
そして「おじいさんはなぜここに住み続けるのか?」に関する対話も楽しかったのですが、もうひとつ面白いかったのが「人が記憶や思い出を辿るのはどんなとき?」という問いでした。
「おじいさんは、なぜ大工道具が落ちている3階下よりさらに下に潜っていったんだろう?」という疑問からはじまり、「どんなときにアルバムを開く?」と自分自身にも問いかけます。
「ダイビングスーツが壁にかかってるっことは、しょっちゅう潜ってるってことじゃない?」
「ほんとだ、普段からすぐ取れるところにある!」
と、えほん哲学カフェならではの楽しみ、絵についての発見もあり、探偵のごとく洞察力で推理が展開しました。
「いや、しょっちゅう潜ってるにしても、毎回思い出をたどっているとはかぎらないんじゃない?今回だって、大工道具をとってすぐ上に戻るつもりだっただろうし」
「でも、このおじいさん、おばあさんが大好きだから、しょっちゅう潜って思い出に浸ってる可能性も‥‥‥」
「思い出ってちょっと掘り起こすと、『その前はどうだったっけ?』ってどんどん掘り起こしたくなる。アルバムだって見始めたら、止まらないし」
「上の家の壁にも写真がたくさんあるけど、写真を見て思い出すのと、と実際暮らしていた家に行って思い出すのとはちがうのかな?」
(注:内容は実際の対話と同じですが、私の記憶によって再編集されたやりとりで、実際の対話の正確な再現ではありません。)
ご参加くださったみなさん、スロウな本屋さん、ありがとうございました。
さて、次回のスロウな本屋さんとのコラボ企画は、えほん哲学カフェではありません。
毎日小学生新聞の連載「てつがくカフェ」が本になるので、その出版イベントを開催すべく準備中です。
お楽しみに。