先月末にえほんやさん主催で開かれたえほん哲学カフェの備忘録を残しておこう。
えほんやさんが選んでくださった『ひばりに』を取り上げました。
以下、ネタバレご容赦を。
えほんやさんにご紹介いただくまで、この絵本のことを全く知らなかったのですが、詩をかいている内田麟太郎さん、わたしがよく子どもと哲学するときに読む『ともだちや』の作者でもあるんですが‥‥‥
『ひばりに』は全然イメージがちがって、まずそこにびっくり。
大震災にあった子どもをはげます詩。
そんな思い上がった詩は書けませんでした。
でもわたしの気持ちはつたえたくて、
詩をかけない詩を書きはじめました。
(『ひばりに』のあとがきより)
この絵本がそんなふうに東日本大震災を機に生まれたということを、事前に知っていて読んだ人と、読んだあとに知った人とで、感じ方や捉え方は異なるのか?
事前に知っていた人は、実際に読んでみてどうだったか?
今回の対話は、そんなところから始まりました。
知っていたけれど、「絵のここが、津波のあった東北の町に見える」といった指摘の一方で、震災にかぎらず「寄り添う」について考えられる絵本だという声も。
「そういわれてみれば、星がまたたく空だと思っていたページは、海なんじゃないか」
「絵の手前に見える草花が変化は何を表しているんだろう?」
「なぜ、ひばりなんだろう?」
「なぜ、たんぽぽ?」
「“かくしきれないよろこび”って?」
などなどやりとりするなかで、後半、みなさんの関心が以下の2点に収斂されてゆきます。
- 「きみにかけることばがない」と言う「ぼく」と「きみ」の関係は?(カップル?親子?ぼくは生きてる?亡くなっている?)
- 寄り添うってどういうこと?
物語のなかの二人の関係性についての問いと、普遍的な関わりについての問い。
このふたつの関心が交わりそうで交わらず、並列して最後まで残ったのが印象的でした。
ご参加くださったみなさん、えほんやさんのみなさん、おかげで大変充実した対話となりました。ありがとうございました。