今日はフリーデザイン岡山で哲学カフェでした。
挨拶が返ってこなくてがっかりしてしまったという話題から、「なんで期待しちゃうのか?」について考えました。
他にも、職場をきれいにしてたら自分がきれいにするのが当たり前のようになってしまった、家族に食事の片づけを期待してしまうといった経験を参照しながら感じたのは、私たちのなかには小さなものから大きなものまで、様々な期待が渦巻いているのだなぁ、ということ。
そして、期待のなかには自覚できてるものと、自覚できていないものがあって、後者のほうはがっかりするまで自分がそういう期待をもっていることに気づいていなかったりする。
そんなことを話しながら浮かび上がってきた期待しちゃう理由、3つ。
- 自分の「ふつう」を当てはめてしまう
- 人間には「交換したい欲」がある→見返りがほしいということではなく、交換から生まれるあたたかい何か(愛)があるのでは?
- 人気には予測したい欲もある
そして、「〜だろう」ではなく「〜かもしれない」と考えることによって、「当たり前」を緩めて相手にも様々な事情があることを想像できるようになるのではという声と、その一方で、一時的ではなく継続的な関係だと、相手の事情や状況をよく知っているだけに期待を緩めるのが難しいという側面も‥‥‥。
そんなところから、個人的に大きな発見だったのは、家族に対して自分のなかに、単に食事の後片づけをしてほしいといった具体的な期待だけでなく、それを覚えていてもらうことによって相手と自分のあいだに何かが積み重なっていくような関係でいたい期待もあるのだなぁ、ということ。
その積み重ねていくような関係になりたいんだという根っこにある期待を相手に伝えてみるのもありかも?
そんなことを考えた対話でした。