4月3日(土)はヨノナカ実習室主催の対話する哲学教室。
こちらのテキストから今回は第9章です。
前回と同じく会場とオンラインのハイブリッド開催で、
まずは音声確認がてら、ひとりずつ「これって差別じゃないかなぁ」もしくは「これは差別じゃない」と思うことを。
「お風呂は女があと」のいえ、
「クィーンサイズ」「シンデレサイズ」が区切られた靴売り場、
色鉛筆の「肌色」問題(日本では「肌色」がなくなって「薄橙」になってるけど、海外には何色も「肌色」があるセットもあるとか)…。
それと、テキストのマルコムXの自伝とを行きつ戻りつしつつ、
配慮が差別になっちゃうのはどんなとき?
差別と区別はどうちがう?
そもそも、なぜ区別するの?
「差別」と「区別」と「配慮」を中心にぐるぐるぐるぐる。
後半は、コーネルの「積極的差別是正措置」とロールズの「無知のヴェール」をご紹介。
ここでもやっぱり、
「配慮をずるいと感じてしまうのはなぜだろう?」
「それでもやっぱり、区別がなくないのか?」
と「差別」と「区別」と「配慮」がぐるぐるぐるぐる。
あと、対話の中心ではなかったと思うけど、個人的に、
「コーネルさんはなぜこんなもってまわったわかるにくい表現をするのか?」、「コーネルさんよりロールズさんの考えに余裕が感じられるのはなぜだろう?」
といった疑問にも、考えさせられました。
既存の差別を強化することなく差別について語ることができるか?
語る人の立場は考えや言葉の意味にどう影響するか?
差別について語ることの難しさを、コーネルやロールズも感じていたかもしれない。
そんなことを感じました。
ご参加くださったみなさん、ヨノナカ実習室さん、ありがとうございました。