松川えりのてつがく日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川えりのブログです。

「責任をとるってどういうこと?」@高島公民館

昨日12月22日(火)は高島公民館の哲学カフェ、ふたばトークでした。

テーマは「責任をとるってどういうこと?」。

 

岡山市内でもコロナウィルス感染者が増えてきて、人数は少なめ。

たっぷりのソーシャルディスタンスをとって、定員60名ほどのお部屋に最初は5名でゆったりとスタート。

 

責任という言葉に自由を制限されるような印象をもつ人、

反対に、自分で稼いで自分で責任をとれるようになったら自由になれると感じる人、

社会的な使命や任務を全うするという責任を大切にしている人。

まずは、いくつかの責任の捉え方のちがいを解きほぐしながら、

 

責任と自由の関係は?

『責任』と『責任感』は同じ?ちがう?

責任は所属に伴うもの?

辞めることは本当に責任をとったことになるのか?

 

などなど。

 

さらに途中から2名ほど加わったところで、交通事故、家庭内での家事の分担、印鑑、子どもに対する責任、資源ゴミ当番など、身近な例をヒントにさらに思考がドライブして、

「責任をとる」と「責任を果たす」の関係、

なぜ謝罪が責任をとることになるのか?

できる/できない、やりたい/やりたくないと責任の関係、などなど。

 

5人の時間は一人一人の考えをゆっくり確認しながら歩む感じなのに対し、

7〜8人になると、丁寧に確認しながらというより、視点の多様性によって吟味が促進されますね。

 

1時間をすぎたところで、それぞれの発言がどんな問いに対応したものなのかややこしくなってきたので、いったん、一人一人、責任に関して自分が気になっていることを疑問のかたちで書き出してみました。

 

f:id:e-matsu145:20201223084754j:image

 

 

終盤は、「責任が果たされないのもイヤだけど、イヤイヤされるのはもっとイヤ」という話から、言葉や態度と責任の関係、「責任」と「義務」のちがいについての気づきをシェアしつつ、お時間に。

まだまだ話せそうだったし、話したい気分もありましたが、進行役の責任を果たすため(!)、12時(をちょっと過ぎちゃった気もするけど)になんとか終了しました。

 

終了後、自転車を漕ぎながら対話を思い返して気づいたのは、

責任には相手がいるんだなということ。

そして、責任はその行為をしなくても代わりの人を見つけたり代替行為で果たせることもありそうだけど、義務はそうじゃないかもしれない、ということ。

 

対話前は「提案されたから考えてみよう」ぐらいの気分だったのに、いまは、

「同じテーマで ソクラティック・ダイアローグ(全員合意形成を目指して2日〜1週間かけてがっつり話し合う哲学対話)もやりたい!」なんて思っちゃってるわたしがいます。

 

まさか今年最後の対話仕事で、こんなびっくり箱みたいにいろんな問いが飛び出す対話になるとは(驚)。

大いに知への愛を駆り立てられる時間でした。

 

ご参加くださったみなさん、高島公民館のみなさん、ありがとうございました。