あっというまに節分ですね。
忘れぬうちに、1月の足跡を残さねば。
高島公民館の哲学カフェ「ふたばトーク」の1月のお題は、参加者が提案してくださたなかから、「見栄を張るのはなぜ?」。
もう15年以上も哲学カフェをやってるのに、「見栄」をテーマに対話するのは初めて!ワクワク。
対話前は「わたし、見栄を張ることなんてあるかなぁ」なんて思っていたのですが、なんのその。
いい服、いい車、
年賀状に、お歳暮・お中元、そのお返し、
1,600円のランチ
おすそ分けするときの紙袋は百貨店の紙袋、
知人を家に招くときだけ掃除がんばっちゃう、
‥‥‥などなど身近な例をきくうちに、「その見栄なら、わたしも張ったことあるわ!」というものがボロボロでてくる。
まずこれが、今回のわたしのファースト・びっくり。
見栄が「なめられたくない」「一目置かれたい」という気持ちや、他者との比較から生じることと同時に、「背伸びし続けるのは苦しい」といったマイナス面と、「競争のなかで向上心が育まれる」というプラス面もが指摘されました。
また途中で、「“プライド”や“自信”、“自慢”とのちがいは?」という疑問も。
ここから、それらと異なる“見栄”の特徴として、「実際の自分より大きく見せようとすること」「一時的にはできるけど、ずっとは続けられないこと」が挙げられました。
「純粋にフェラーリが好きでフェラーリに乗ってる人は、たとえ他を節約してフェラーリに乗っているとしても、見栄を張ってるわけじゃない。ただ好きなだけ」
「でも、他の人からは見栄を張ってるように見えることもある」
というやりとりもおもしろかったなぁ。
そこから浮かび上がった「見栄を張ってるのかどうか、誰がどうやって判断するの?他人が見てわかる?」という疑問も。
そして、終盤、「歌舞伎の“見栄をきる”の見栄も同じか?」という問いかけ。
これが、この日のわたしのセカンド・びっくりです。
歌舞伎の“見栄をきる”の話題が出るとは全く予想してませんでした。
でも、言われてみれば、どちらの「見栄」にも(文字通り)、“かっこいい”とか“かっこよくありたい”という美意識がはたらいてる気がする!
さらにさらに、「見栄をきるにも上手い下手がある。見栄を張るにも上手い下手はある?」と興味深い問いが。
以下、個人的な感想です。
心身ともに「等身大でいること」をモットーにしているわたしにも、見栄を張っていることがあることがわかってよかったです。
「わたし、見栄張ってんな〜」ってポイントが自覚できました。
そして、対話の前は「見栄を張る」ことに対してネガティブな印象があって、なるべくやっちゃいけないことと思っていたのですが、「見栄を張るなら上手く張りたい」と思うようになりました。
でも、見栄を張り続けるのは背伸びをし続けるのが無理なのと同じぐらい無理だとわかったので、「友だちが家にくるときだけ掃除がんばる」ぐらいの小さくて瞬間的な見栄限定にしておこう。うん。
見栄を張るのをやめましたという方も、ついつい時々見栄を張っちゃうという人も、年賀状やお歳暮・お中元のやりとりに悩んでいる人も、なにかのヒントになれば幸いです。
ご参加くださったくださったみなさん、高島公民館のみなさん、ありがとうございました。