5月2日に開催したfacebookで哲学ウォーク、参加者の方がその日のうちに感想をご自身のブログにアップしてくださいました。
京都でナラティブ・カフェを開いてらっしゃる、Lotusさんの感想です。
送られてきた言葉にぴったりな場所を探して歩く様子、
なんとなく頭にあった案もあるけれど「しっくりこないな」とやめたり、
諦めかけてふと覗いたそこで「これだ」というものに出会ったり‥‥‥。
そういう哲学ウォークならでは逡巡や、徐々に自分の選択の奥にある思考が紐解かれていく様子が伝わってきます。
特に、この「しっくりこないな」という感じを、わたしはとても大切にしていて、うれしくなりました。
わたしたちのなかには、自分でも自覚していない思考がまだたくさん眠っている。
哲学とは、それを宝探しのように発掘していく作業だ。
わたしはこう考えているのですが、「しっくりくる/こない」というのは、その発掘の重要なヒントになります。
それが、目の前の景色や他の人からの質問をヒントに少しずつ掘り起こされ、明らかにされていくのが、哲学ウォークのおもしろさなんじゃないか。
そう思ってます。
ところで、最後のほうで彼女が指摘してくださったように、ピーター・ハーテローさんのオリジナル版では、場所とともに「コンセプト」をつくることになっています。
「コンセプトをつくる(conseptualize/概念化する)」という作業は、哲学的営みにおける重要な基礎能力のひとつです。
が、今回の《facebookで哲学ウォーク》では思い切ってこの「コンセプトをつくる」という作業を省くことにしました。
省いた理由は、「コンセプト」というものがどういうものか、全員に伝えられる自信がなかったから。
実際、オリジナル版の哲学ウォークを実践していても、しばしばこの「コンセプト」というのがどういうものか戸惑う方がおられます。
対面だと相手の様子をみながら説明を補足したり、コンセプトづくりをさりげなくフォローすることも可能なのですが、投稿スタイルだと難しい。
もちろん、わたしが説明下手なだけで、説明のうまい人ならなんの問題なくできるのかもしれません。
が、説明があまり多くなると参加のハードルがあがるし、なるべくいろんな人に楽しんでもらいたいというここともあり、シンプルな形にまとめることにしました。
その代わり、その場所を選んだ理由がきちんと文章化されるので、質問される方もそれをヒントに質問を考えられるのではと思います。
(一方で、オリジナル版の哲学ウォークでは、理由を繰り返しきくことができないので、コンセプトがないほうが難しいかもしれません。)
この感想を寄せてくださった、Lotusさんのように、最後に「今回のわたしのコンセプトはこれかな?」なんてふりかえると、さらに充実したワークとなるかもしれませんね。
もうひとつ、Lotusさんがおっしゃっている、こうした哲学実践とナラティブ・アプローチとの親和性や相違点については、今回の哲学ウォークだけじゃなく、他の哲学実践も含めて、今後じっくり考えてみたいなぁ。