昨日1月27日(月)は、大元公民館にて、子育てモヤッとニコッとカフェでした。
テーマは「“ほどほど”ってどれぐらい?」。
食事中のしつけ、寝かしつけの時間、お弁当づくり、掃除の頻度などなどを例に、“ほどほど”に関するモヤっとが出てきます。
- 7歳の“ほどほど”と5歳の“ほどほど”はちがう気がするけど、子どもに伝わらない
- やった方がいいのはわかるけれど、毎日毎日はキツイ
- 男性は仕事だけ、女性は家事・育児だけ、昭和の感覚は極端?
- 「“どうしても”ってときは言って」の「どうしてもってとき」って???
- 家族でも人によって“ほどほど”と思うレベルが違う
- 自分では普通にやってるつもりだけど“ほどほどに”と言われてしまう
etc...
そうそう、冒頭で参加者のひとりが教えてくださった、「最良の母とは、完璧な母ではなく、ほどほどの母である」という言葉は、もとはドラルド・ウィ二コットという人の言葉のようですね。
英語だと“good enough mother”かぁ‥‥‥
これはこれで気になるし本も読んでみたいところですが、ひとまず今回のカフェでは、この言葉に励まされながらも「その“ほどほど”はどれぐらいなの!?」とツッコミをいれつつ進めることに。
そして、これらのモヤッとを緒に、“ほどほど”に関する示唆が少しずつ出てきます。
- 「毎日」「絶対」はなくす
- 子ども相手は自然相手。思った通りにはいかないから、“ほどほど”が大事
- 結局、“ほどほど”は自分が納得できるかどうか?
- 励まされる“ほどほどに”と、受け入れにくい“ほどほどに”のちがいは?
- 経験を重ねるほど“ほどほど”が増える、広がる
- 自分が良いと思うことだけでは極端。子供にとってよい環境といえるのか?
- 「自分が育てる」と思うと“ほどほど”は難しい。「みんなで一緒に育ててもらおう」と思うと“ほどほど”になるのでは。
みなさんのお話をききながら私が気づいたのは、どうも、“ほどほど”には2種類ありそうだということ。
- 思い通りにいかないから“ほどほど”にならざるをえない(外的な条件から決まる“ほどほど”)
- 自分が納得できるレベルとしての“ほどほど”(内的な基準から決まる“ほどほど”)
どうもこの2種類の“ほどほど”がごっちゃになるところが、問題をややこしくして気がする。
もうひとつ、みなさんのお話と自分の経験を照らし合わせて感じたのは、“完璧”や“100%”って自己満足なんじゃないか、ということ。
“ほどほど”って加減や判断が難しくて、「毎日絶対●時までに寝る」とか「汚れを見つけたら掃除機をかける」と決めてしまったほうがラクなこともある。
けど、そうしたほうがラクなポイントは人それぞれちがう。
「そこは“ほどほど”でよくない?」という人もいるから、自分がそうするのはいいけれど、他者がその決め事に付き合わされるのはキツイこともある。
“完璧”や“絶対”が悪いわけじゃないけれど、それが全ての人にとって目指すべきものかというとそうでもない。
だったらそれは、「“完璧”を目指すのは自己満足」ぐらいに思っといてちょうどよいんじゃないかな。
“ほどほど”について語る2時間は、“完璧”の不完全さ(語義矛盾?!)に向き合う2時間でもあったような気がします。
途中、掃除機談義なども交えつつ、和気藹々とした2時間でした。
ご参加くださったみなさん、大元公民館のみなさん、ありがとうございました。